-観光と暮らし-
オンラインツアー体験レポート“オンラインでタイムスリップ!? 日本遺産のまち益田市と津和野町を味わう旅”
~地域内外の「人」との交流を大切に。歴史を未来へとつないでいくこと~
島根県津和野町・益田市
今回は島根県津和野町と益田市を
オンラインで旅します
今回注文して届いたオンラインツアーの地域応援セット:B 益田市・津和野町満喫セット/12,000円 ⇒ Go Toイベント適用価格10,000円
宗味 中世の酒 与三右衛門 200ml(右田本店)
宗味 純米酒 300ml(右田本店)
宗味 純米ひやおろし 720ml(右田本店)
ぐい呑み 1点(雪舟焼窯元)
戦国益田氏弁当お試しセット(セゾングループ)
身うるか 30g(高津川漁業協同組合)
焼鮎パック 40g(高津川漁業協同組合)
岩豆腐の燻製 80g(有限会社真砂)
芋煮レトルトパック(津和野町商工観光課)
ゆず香味 25g(河田園)
栗ようかん 100g(千舎乃木)
はちみつマドレーヌ 2個入り(松月堂マリード)
本ツアーは、前日に荷物が届いたタイミングから始まります。受け取った段ボールを開くワクワク感も、オンラインツアーの醍醐味の一つです。今回は豪華にBセットを購入しました。届く日本酒だけでなく、地域のお土産がぎっしりと詰まったものが経済産業省のGoToイベント適用価格になると、さらにお得ですよね。
2021年11月6日に開催された、ツアー会社「あうたび合同会社」企画のオンラインツアー「オンラインでタイムスリップ!? 日本遺産のまち島根県・益田市と津和野町を味わう旅」に参加してきました。
参加者はWeb会議サービスzoomの画面を通じて参加。日本遺産のスポットを、精通した地元の方のガイドで向かいます。益田市・津和野町の魅力に早速迫っていきます。
神社の高台から見えるのは、かつて貿易で栄えた地形が残る日本海が広がる絶景
ツアー当日。私たちを出迎えてくださったのは、あうたび合同会社の添乗員のかなえさん。そして、今回、旅の企画を進めるあうたび同社長の唐沢さんの挨拶から始まりました。
唐沢 雅広(からさわ まさひろ)さん:あうたび合同会社代表社員兼 CEO/東京都出身。旅行業界歴は20年。都内の旅行会社で企画などの経験を経て取締役に就任。その後、自然食の販売事業など新規事業の立ち上げに携わる。独立後、起業セミナーや交流会に参加する中で、脱サラして田舎で農業とクラフトビールやワインを作る人と出会い、その人の田舎を訪れた際のおもてなしなどの体験に”人に会いに行く”ツアーを作りたいと 2016 年に「あうたび」を設立。
白石 佳菜江(しらいし かなえ)かなえさん:あうたび企画兼ツアー添乗員。愛称はかなえ/東京都出身。2005年にスリランカへ初めて渡航。その後、現地NGO、現地旅行会社にインターンとして勤務。日本とスリランカの旅行業界の関係性を中心に大学にて研究を経て大学卒業を機に、日本のスリランカ専門旅行会社勤務。大学院では日本人旅行者のスリランカ観光をテーマに研究。現在もスリランカとの関わりしろを大切にする中、あうたびでは、ツアー中のお酒を愛し笑いを誘うキャラクターの良さが人気を買っている。
さて、まずは櫛代賀姫(くししろかひめ)神社から益田の歴史文化を活かした観光拠点づくり実行委員会代表の右田さんから自己紹介と届いたお酒や特産品で乾杯します。案内してくださったのは、益田市文化財課の中司さん。
中司 健一(なかつか けんいち)さん:益田市文化財課/日本中世史を専門とする市役所職員で、益田市を日本遺産認定に導いた立役者の1人。精力的に研究に取り組む一方で、地元ケーブルテレビにレギュラー出演するなど文化財の魅力を発信している。
益田市周辺の石見地方はかつて益田家の家紋をつけたお殿様が支配していて、その名残となる遺産がたくさん残っているそうです。またこの本殿は安土桃山時代に再建された形を残しています。そして、少し歩いていくと高台から絶景が見えてきます!
写真右>右手が日本海、手前が津和野方から流れる高津川、奥が益田川。
写真左>googleマップでは矢印の方向から見ていることになる。
目の前に見える益田平野に、昔湖がありました。当時はたくさんの船が日本海を行き来しており、荒れた冬の日本海を航海するための休憩場所として湖があったそうです。
目の前を流れる益田川に高津川が合流し、砂州が発達したこともあり、河口域が潟湖状になっていました。この地形が、日本海の強風と荒波を避ける上で格好の条件となっていました。
この地形を利用し、昔は中国や朝鮮半島と益田は盛んに貿易していたと言われており、中世の遺産がたくさん残っています。自作の兜を被って案内してくれた中司さんがとても印象的でした。
中司さんのガイドのおかげで景色をただ「きれい」と眺めるのではなく、その景色の意味まで理解を深めることができました。
中世の息づかいが今にも感じられる、お寺と庭園
次に訪れたのは医光寺(いこうじ)。「益田観光ガイド友の会」の会長・岩本さん(写真下①)に案内していただきました。医光寺は臨済宗の一つで、中世に石見地方を治めていた益田家の菩提寺にもなっています。今日は医光寺と、水墨画で有名な室町時代の禅僧である雪舟が作庭した庭園を案内していただけるとのこと。
医光寺の門(写真下②)。益田氏の居城である七尾城の門が移設されました。高さ4m幅4.5mと通常のお寺よりも高いです。これは武者が馬に乗ったまま通れたり、歩兵が槍を持ったまま通れたりするように造られたそうです。
写真①>岩本 節雄さん:益田市のボランティアガイド「益田観光ガイド友の会」会長/益田市の歴史や文化の魅力を発信中。
本堂の横にある庭園は、1479年に雪舟が益田を訪れた際に庭を築いたと言われています(写真上③)。こちらの庭園は山すそを利用した石組と植栽、平面に池とそこに浮かぶ島の2段構成の千仙干渉式庭園と言われています。
池の形は鶴、島の形は亀の形をしており、長寿の意味が込められています。上の方に尖った石があり、これは仏教で世界の中心の山の意味を表す須弥山石(しゅみせんせき)と言われています。また、下には石組があり、龍門瀑(りゅうもんばく)と呼ばれています。瀑とは滝のことを指します。
鯉が滝を登ると竜になるという言い伝えがあり、登竜門の竜の語源はここからきているとされています。鯉が竜になる、すなわちそれは出世を表しています。
亀島の部分の上に乗っているのは蓬莱石組というもの。中国の神仙物語に出てくる蓬莱島には、不老不死・長寿の意味が込められています。これらのことから、雪舟は益田家の末永い繁栄を祈っていることが考えられます。
樹齢400年の枝垂桜は3月になると満開に。秋には紅葉が。冬には雪を被った亀島が見られるそうです。季節ごとに違った景色が楽しめるんですね。
岩本さんの時代の息づかいが感じられるガイドは、まさに中世にタイムスリップしたようでした。中世を思い浮かべながら、景色を見ることで、時代が蘇ってくるような気がしました!
30時間、丹念に焼いていく。この地に雪舟を広めるためにやってきた、雪舟焼窯元
医光寺を後にし、訪れたのは雪舟焼窯元。今回の案内人は、二代目の福郷さん(写真下④)。最初に、お店の中を案内していただきました。さまざまな器が並んでいますね(写真下⑤)。
写真④>二代目福郷 徹(ふくごう てつ)さん:雪舟焼窯元二代目/雪舟焼は昭和24年、作家・田畑修一郎氏の発案により、益田文化人協会「家根原宗寿(医光寺26世)キムラフジオ(ザツボクリン主宰)に呼ばれ、医光寺境内の一部に窯を築いたのがはじまり。その後窯を移築し、初代・二代目共に島根の地で陶器作りに邁進し、内閣総理大臣・黄綬褒章や徳川夢声市民賞の受賞作品(10年間制作)をはじめ益田競馬場特別観覧席馬レリーフ等、数多くの作品を世に残す。現在の二代目は京都及び備前各地で研究を重ね、益田市に昭和48年に帰省。石見の郷土色を現す作品を送り出している。
福郷家は、昭和24年まで岡山県・津山で活動されていたそうですが、ここで雪舟の名前を広めたいと益田にやってきたそうです。原料となる益田の長石は融点が狭いため、この温度をしっかりと守ればすっきりした色が出ます。
東京や大阪から来た人がお土産で買っていく人気の品は「袋盃」。盃とひょうたんが穴でつながっています。ひょうたんの上の部分を指でふさいで飲みます。
ひょうたんの上の部分を抑えるとお酒が止まり、離すとまた穴の部分からお酒が出てくる仕組みです。不思議な原理ですよね。ひょうたんの上の部分を抑えることでお酒の量が調節できるので、奥さんをごまかすことができるとか。
今回、登り窯も案内してくれました(写真上⑥)。温度計を使わず、経験で焼き時間や温度が分かるとのこと。焼く時間は大体30時間前後。1年半に1回ぐらいまとめて焼くそうです。
福郷さんの一つ一つの努力がにじみ出る場所でした。益田の歴史を作ってきた福郷さん。益田を訪れて、ぜひお会いしたいと思いました。
銃弾の跡、立派な屋根、仏教の世界を表現した庭園。関わった先人の想いが込められた1300年のお寺。
続いてやってきたのは萬福寺(まんぷくじ)。住職の奥様である神一邦子さんが笑顔で出迎えてくれました(写真下⑦)。神一さんが早速紹介してくれたのは本堂の屋根。垂直水平のバランスが取れており、鎌倉の様式を残したとても立派な屋根です(写真下⑧)。
写真⑦>神一 邦子(こうかず くにこ)さん:萬福寺住職の奥様/萬福寺の歴史の語り部として観光客へのガイドを行う。益田の歴史への愛が溢れてとまらない、まさに郷土愛の代名詞。
続いて、本堂の中を案内していただきました。阿弥陀さまは平安時代の仏像。金箔や台座は江戸時代のものだそうです。
土壁がなく、木で支えているのが特徴です。柱になるような木は今はないため、火災になると復元は難しいとのこと。一本の柱で家が建つような大きさの木であるため、簡素な構造ですがこの付加価値は計り知れないものです。
こちらは慶応2年(1866年)、大村益次郎率いる長州軍と幕府軍が戦った、長州戦争のときの弾跡が残っています(写真上⑦)。
昭和9年の改築のときに他の弾跡は取り替えられ、現在はこの跡を残すのみとなっています。他にも、江戸時代に使われていた籠など、当時を感じさせるものが展示されています。
萬福寺にも雪舟作の庭園があり、理想郷としての仏様の世界がしっかりと作られています。医光寺でも見られた龍門瀑などさまざまな意味が込められた石を見ることができます。
日本庭園はただ見る、見せるためだけではなく、ここの空間にいろいろな過去の方の想いや祈りが込められていると神一さんは話します。
「理屈の世界ではなく心で味わう」という神一さんの言葉がとても印象的でした。戦い、芸術、庭園、さまざまな人が関わり、室町時代の萬福寺が残っていることを知ることができました。難しい言葉もたくさんあったので、実際に現地を訪れ詳しくお聞きしたいと思いました。
歴史ある酒蔵にて参加者と乾杯。酒造りの工程を見学
続いて訪れたのは酒蔵の右田本店。杜氏の右田さんが出迎えてくれました。まずは参加者に事前に特産品として送られてきたお酒の紹介をしていただきました。そのお酒を持って、参加者の皆で乾杯をしました!
乾杯のあとは右田さんの案内で、酒蔵にて製造過程を見せていただくことに。こちらは日本遺産の構成文化財の一つで、毛利家の下になって寂れた街をお酒づくりによって活気がある街にした歴史があります。
写真⑨⑩>右田 隆(みぎた たかし)さん:株式会社 右田本店杜氏・益田の歴史文化を活かした観光拠点づくり実行委員会 会長 /大学で酒造を学び、京都の酒屋で5年ほど修行してから27歳で益田にUターン。「何を造るか、どう造るか」だけでなく、「どう飲むのか、どんなシチュエーションで飲むか」という視点からお酒造りに取り組む。
写真⑩中央>大谷 卓(おおたに すぐる)さん:有限会社セゾングループ取締役社長/中世に益田氏が武将・毛利元就にふるまったとされる御膳を再現した益田中世の食を広めている。
https://saisongroup.jimdosite.com/
写真⑩左>岩井 賢朗(いわい けんろう)さん:有限会社真砂 代表取締役/別名「トウフマン」。真砂地区で豆腐を作りながら、地域づくりにも取り組み、益田の歴史を食・歴食の活動を手がける。真砂の食と農を守る会 大地が運営するまちおこしドキュメンタリー「まさごプラス」にも関わる。
http://masagoplus.jp/writers/tofuman
仕込み用のタンクは、夏は涼しく冬はそこまで寒くならないそうです。その後、お米の釜や麹にする過程を見せていただきました!酒蔵を見せていただいた後は、共に活動する二人をご紹介いただきました。
大谷さんは、新型コロナウイルスが流行する前は、萬福寺の庭園を見ながら、中世の食を召し上がっていただく活動をされていたそうです。現在は中世の食のお弁当(戦国益田氏弁当)を作り、場所を問わず味わっていただける活動をしているとのこと。
岩井さんの作る真砂豆腐は他の豆腐に比べて硬いそうです。今は冷凍して全国に発送できるおせちを作ろうとしているとのこと。
歴史を感じられる食に触れる機会はなかなかありません。食を通じてタイムスリップした感覚になれる、益田からは目が離せません!
古き街並み、食、神楽など歴史や文化を肌で感じられるまち
最後に訪れたのは津和野町日本遺産センター。案内してくれたのは集落支援員の中藤さん(写真下⑪)。津和野町日本遺産センターは、文化庁が創設した「日本遺産」の第1号の一つに認定された「津和野今昔~百景図を歩く」のストーリーを知ることができる場所です。施設の前の街並みは、伝統的建築物の対象になっており、昔の街並みが残っています。
中藤 知冶(なかとう ともはる)さん:津和野町日本遺産センター・津和野町集落支援員/地元の工業高校卒業後、東京で約30年働き、5年前に津和野へUターン。自然が豊かで、歴史のあるまちをみなさんに知ってもらいたくて、今の仕事を選んだとのこと。一度離れたからこそ分かる津和野町の魅力を多くの方に発信している。
まず館内に入って出てきたのは中藤さんの写真の背景にある「津和野百景図」。1860年代に描かれたもので、日本遺産登録のきっかけになったものです。津和野百景図は栗本里治というお殿様のお茶を出す係の人が描いたもの。
津和野に生まれた森鴎外も、この百景図の景色を見ながら幼少期を過ごしたとされています。特別天然記念物に指定されている青野山と、日本一の清流でアユがたくさんとれる高津川が有名です。
津和野の食のイチオシは芋煮です。館内にて、芋煮の紹介をしていただきました。里芋は青野山のふもとの火山灰を利用した粘り気の強い里芋がとれます(写真上⑫)。
焼いた鯛で出汁をとり、ゆずを薬味につけています。あっさりとした塩味で、日本三大芋煮の中でもシンプルです。でも、それだけ芋の味が引き立つということ。青野山の地形が美味しさを作り出しているそうです。
他にも津和野には神楽という舞楽の文化があったり、明治時代の庭園があったりと、さまざまな歴史を感じられるものをご紹介していただきました。
施設だけではなく、実際に街並みを歩き、神楽を鑑賞し、芋煮を食べる体験などをしてみたいと心から思いました。
結び-Ending-
今回はとても濃厚なツアーでしたが、何より大きかったのは現地の方の丁寧な案内により、初めて地域の歴史を感じることができたこと。いつもは「きれいだ」としか見ていなかった景色に深い意味があること。
現地の人と交流することで歴史を深く知ることができました。改めて、現地の方々ご案内ありがとうございました!
■企画・著作
佐々木 将人 (Masato Sasaki)
就職を機に兵庫県から北海道に移住した社会人2年目。人好きで、人×地域をテーマにした記事制作が得意。
【取材データ】
2021.11.6 オンライン取材
【監修・取材協力】
・あうたび合同会社
取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。