
よそ者だった漁師が町の仲間になるまで
〜地域が育てた、徳田聖一郎9年間の軌跡〜
富山県朝日町
今回は徳田 聖一郎応援会に
お話を伺いました

小林 茂和(こばやし しげかず)さん:徳田聖一郎応援会 発起人の一人
富山県朝日町在住。地域おこし協力隊や移住者が地域に溶け込めるよう、山小屋での交流会や食事会を数多く企画し、人と人 をつなぐ場づくりに長年取り組んできた。時には厳しい助言も送りながら挑戦者を温かく見守り、地域との橋渡し役を担う。2018年に徳田さんと出会い、その挑戦する姿勢に共感。応援会の発起人の一人として立ち上げに携わり、現在も地域の仲間とともに活動を支え続けている。
「よそ者」として朝日町へ移り住んだ一人の若者が、9年後には地域の人たちから「また会いたい」と思われる存在になっていました。
その理由は、漁師として腕を磨いたからだけではありません。
目の前の仕事に真っすぐ向き合い、人との出会いを大切にし、少しずつ信頼を積み重ねてきたこと。そして、その姿を見守り、時には背中を押し、時には厳しい言葉を掛けながら支え続けた地域の人たちがいたことです。
今回取材した「徳田聖一郎応援会」は、誰か一人が主役になる場ではありませんでした。徳田さんの挑戦を通して、人と人がつながり、そのつながりの中で互いに学び、喜びを分かち合う場所でした。
この9年間の歩みをたどると、「地域に受け入れられる」とはどういうことなのか、その答えが少し見えてきます。
地域をつなぐ場で生まれた、一人の若者との出会い
2018年、富山県朝日町。地域おこし協力隊として着任した一人の若者がいました。現在、「旨いを届ける 聖徳丸」を営む漁師、徳田聖一郎さんです。
その出会いは、一つの「地域づくり」の取り組みから始まりました。
当時、朝日町の笹川地区で自治振興会長を務めていた小林茂和さんは、「祭りを含む地域の活性化」「高齢者の元気な里づくり」「移住促進」をテーマに地域活動を続けていました。町内に地域おこし協力隊制度がなかった頃には、その必要性を行政へ提言し、制度づくりにも関わってきたといいます。
一方で、制度が始まっても、移住者が地域に定着することは簡単ではありませんでした。新しい環境になじめず、着任からわずか1〜2年で地域を離れてしまう人も少なくなかったそうです。
「移住して終わりではなく、地域の中で人とつながる場が必要ではないか」

そんな思いから、小林さんは自宅の山小屋へ地域おこし協力隊員や地域住民、近隣自治体の協力隊員などを招き、食事を囲みながら語り合う交流会を続けていました。肩書きを離れ、一人の人として向き合える時間が、そこにはありました。
その交流会で、小林さんの目に留まったのが徳田さんでした。
「食事の準備や後片付けを黙々としている姿が印象に残りました」
決して多くを語るタイプではありません。しかし、人が気づかないところでも率先して動き、一つひとつの作業を丁寧にこなす。その誠実な姿勢に、小林さんは自然と関心を抱いたといいます。
後日、小林さんは徳田さんや漁業関係者を交えた食事会を開き、漁師を志した理由や将来への思いをじっくり聞く機会を設けました。
この出会いが、後に「徳田聖一郎応援会」へとつながる最初の一歩となりました。
「応援したい」と思わせた、徳田さんの行動力
交流会で徳田さんの姿を見た小林さんは、後日改めて、徳田さんと漁業関係者を交えた食事会を開きました。
そこで徳田さんは、衰退が進む漁業の現状や、自らが漁師として生きていきたいという思いを率直に語ったといいます。
しかし、小林さんは、その夢を手放しで応援したわけではありませんでした。
「漁業だけで生計を立てるのは簡単ではない。趣味を仕事にするなら、生活を支えるためにアルバイトを掛け持ちすることも考えなければならない」
夢だけでは続けられない。だからこそ、現実を見据えた厳しい助言を送りました。

その言葉を受けた徳田さんは、魚をさばく技術を磨き、町から特認を受けてアルバイトも始めるなど、一つひとつ課題を行動で乗り越えていきます。
約一年間、その姿を見守り続けた小林さんは、改めて友人たちとの食事会へ徳田さんを招きました。
「口数は少ないけれど、よく動く」
「言葉より先に行動する人だ」
参加者からは、そんな声が自然と聞かれるようになりました。
徳田さんは季節ごとの魚介類を持ち寄り、料理を振る舞いながら少しずつ交流を広げていきます。そして地域のイベントや集会にも積極的に参加し、自らの活動や将来の夢を語る機会を重ねていきました。
その姿を見ていた人たちが感じたのは、「応援してあげなければ」という義務感ではありません。
地道に努力を重ね、言葉よりも行動で信頼を築いていく姿に、「この人ならきっとやり遂げる」。そう思わせる何かがあったのです。
応援とは、誰かが旗を振って始まるものではありません。
一人が徳田さんを知り、その人がまた別の誰かへ紹介する。その小さな積み重ねが、やがて応援の輪となり、後の「徳田聖一郎応援会」へとつながっていきました。
地域に受け入れられた9年間
徳田さんとの交流は、一度きりでは終わりませんでした。
食事会を重ねる中で、地域の皆さんは徳田さんの魚介を購入し、自宅で味わい、知人へ紹介するようになります。
小林さんからご提供いただいた資料には、当時の注文表が何枚も残されていました。
そこに「応援」という言葉はありません。

しかし、その一枚一枚には、「まずは自分たちが買ってみよう」という地域の皆さんの行動が記録されていました。
商品を購入する。人へ紹介する。イベントへ足を運ぶ。そうした一つひとつの積み重ねが、徳田さんにとって何より大きな支えになっていったのです。
やがて徳田さんは、地域のイベントや講演会などでも、自らの活動や漁師としての挑戦、朝日町で暮らす思いを語るようになりました。
その姿に共感した人が、また新たな人へ紹介する。少しずつ人とのつながりが広がり、徳田さんは地域にとって身近な存在になっていきました。今回、小林さんからご提供いただいた写真には、その歩みが丁寧に残されていました。
進水式。新居完成のお祝い。受賞を祝う集い。そして季節ごとに開かれる食事会。
一枚一枚を見返していると、徳田さんの歩みだけではなく、その成長を温かく見守る地域の皆さんの時間もまた、積み重ねられてきたことが伝わってきます。

気が付けば、徳田さんは「応援される人」という存在を超え、地域の仲間として自然に受け入れられていました。
その9年間は、多くの人が少しずつ関わり合いながら育んできた、朝日町ならではの温かな時間だったように感じます。
「旨い」の先にあったもの。9年目の夏の陣
徳田さんの挑戦を応援する輪は、2020年7月23日、「徳田聖一郎応援会」として正式に発足しました。
会長には水島政行さんが就任し、「地域みんなで徳田さんを応援していこう」という思いのもと、現在まで活動が続いています。

そして2026年7月。毎年恒例となっている応援会「夏の陣」が開かれました。
会場には、解禁されたばかりの岩ガキやサザエ、新鮮な刺身、炭火でじっくり焼き上げられた魚の塩焼き、温かい汁物など、朝日町の海の幸が次々と並びます。
締めくくりには、徳田さん自らが一貫ずつ握った寿司が振る舞われました。
どの料理からも、素材の良さだけではなく、「一番美味しい状態で味わってほしい」という徳田さんの思いが伝わってきます。

一方で、私が想像していた光景とは少し違う場面もありました。徳田さんも皆さんと席に着き、ゆっくり食事を楽しむのかと思っていましたが、実際には終始立ちっぱなし。
料理を運び、一品一品を説明しながら、参加者一人ひとりへ声を掛け続けていました。その傍らでは奥様も料理の提供を支え、夫婦二人で皆さんをもてなす姿がとても印象的でした。
会場には、さまざまな世代の皆さんが集まり、料理を囲みながら自然と会話が弾んでいきます。互いの経験に耳を傾け、近況を語り合い、新しい刺激や学びを持ち帰る。
そこには、単に「応援する」「応援される」という関係ではなく、人と人とのつながりを育みながら、それぞれが前向きな力を受け取っているような空気が流れていました。
私は、この応援会は徳田さん一人を応援する場ではなく、人が集い、互いに学び合いながら地域とのつながりを育てていく場なのだと感じました。
そして、その中心には、9年間変わることなく挑戦を続けてきた徳田さんの姿がありました。
地域を支えたのは、「応援会」という仕組みだけではなかった
今回、小林さんからお話を伺い、資料を読み進める中で、一つ強く感じたことがありました。
徳田さんを支えてきたのは、応援会だけではなかったということです。
その背景には、人と人が自然につながる「場」が長い時間をかけて育まれていました。
小林さんは、地域おこし協力隊が朝日町へ定着できるよう、自身の山小屋へ隊員や地域住民を招き、食事を囲みながら交流する場を続けてきました。

そこでは、一方的に何かを教えるのではありません。悩みを聞き、経験を語り合い、新しい人を紹介しながら、それぞれが自然と地域の輪へ入っていく。
小林さんは、
「求められれば話す程度で、隊員同士の懇談や討論を見守ることが多かった」
と振り返ります。
前へ出て引っ張るのではなく、一歩引いた場所から人と人をつないでいく。その姿勢は、今回取材した応援会でも変わりませんでした。
料理を囲み、近況を語り、誰かを紹介し、新しい出会いが生まれる。そんな何気ない時間の積み重ねが、徳田さんを地域へ受け入れる土台になっていたのではないでしょうか。
私は今回の取材を通して、小林さんたちがつくってきたものは「応援会」という組織だけではなく、「人が安心して挑戦できる地域の空気」そのものだったように感じました。
徳田さんを応援することは、その空気を未来へつないでいくことでもあったのです。
人を応援することは、地域の未来を育てること
「人はなぜ誰かを応援したくなるのか」
今回の取材を通して、何度も頭に浮かんだ問いでした。
徳田さんの歩みを振り返ると、その背景には、商品を購入してくれる人、交流の場をつくる人、夢を語る機会をつくる人、人生の節目をともに喜ぶ人など、多くの人たちの存在がありました。
その一つひとつは決して特別なことではありません。
しかし、その積み重ねが、一人の若者を支え、やがて朝日町に根を下ろす力になっていったことは間違いありません。
今回、小林さんからご提供いただいた写真や資料には、「応援」という言葉だけでは表現しきれない時間が残されていました。

結婚を祝い、新しい船の進水を喜び、新築を祝福し、季節ごとに食卓を囲む。
そこには、「応援する人」と「応援される人」という関係を超え、一人の仲間の人生をともに歩んできた時間が流れていました。
私が今回最も印象に残ったのは、応援会の皆さんが「支えてあげている」という空気ではなく、「また徳田さんに会いたい」「今年もみんなで集まろう」という、ごく自然な笑顔で集まっていたことです。
応援とは、誰かを特別扱いすることではありません。その人の挑戦を見守り、ときには背中を押し、ときには厳しい言葉を掛けながら、長い時間をかけて信頼を育てていくことなのだと思います。
9年前、「よそ者」として朝日町へやって来た一人の若者。その若者は今、多くの人から「また会いたい」と思われる地域の仲間になっていました。
その歩みは、これからも続いていきます。私もまた、その続きを記録していきたいと思います。

結び-Ending-
今回の取材を通して、私の中で「応援」という言葉の意味が少し変わりました。
これまでは、誰かを励ましたり支えたりすることが応援だと思っていました。しかし朝日町で皆さんのお話を伺い、その歩みを振り返る中で見えてきたのは、商品を購入し、食卓を囲み、人生の節目をともに喜び、ときには厳しい言葉も掛けながら、長い時間をかけて寄り添い続ける姿でした。
私はこれまで、各地で移住支援や地域づくりに携わる方々を取材してきました。その中でよく耳にしたのが、「中間支援」という考え方です。
行政でもなく、事業者でもなく、地域と人、人と人をつなぐ存在。その役割は組織や制度として整えられている地域もあれば、朝日町のように、人と人との信頼関係の中から自然に育まれている地域もあります。
今回、小林さんをはじめとする皆さんのお話を伺いながら、朝日町には目には見えない中間支援の文化が根付いているのではないかと感じました。
この記事が、徳田さんの9年間だけでなく、「人を応援すること」「人と人をつなぐこと」の大切さを考えるきっかけになれば嬉しく思います。

■企画・著作
中野 隆行(Nakano Takayuki)
北海道夕張市での写真活動を機に
地域の人たちの価値観に触れたことがきっかけで
このメディアを立ち上げる
【取材データ】
2026/07/04
【監修・取材協力・資料提供】
小林 茂和様
取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。本記事の無断転載を禁じます。
