地域人史-Interview-
“妻の死をきっかけに働き方や暮らし方を考え直しました”
全てを失ったプレイヤーが地域と共に再出発した理由と覚悟
北海道夕張市
今回は野田 勝さんに
お話を伺いました
野田 勝(のだ まさる)さん
一般社団法人リスタート夕張 代表理事/北海道札幌市出身。北海道教育大学旭川校 生涯スポーツ学科卒業。大学のステータスとは別に自身の原体験から柔道整復師を習得。生業となるよう活かし事業を拡大する中で妻と死別。追い打ちをかけるようにコロナ禍で経営する会社が経営難に陥り苦渋の決断を下す。その後かつて訪れた地域が自分の人生と重なる部分に共感を抱き、そこで生きていくことを決意。土地を取得し地域に根付いてまちのための法人、一般社団法人リスタート夕張を立ち上げる。夕張市在住。
人生は山あり谷ありでいい時もあれば悪い時もあります。北海道夕張市は石炭産業の発展により全盛期を築きましたが、エネルギーが石炭から石油にシフトして財源を失い、施策としての観光事業も試行錯誤。人口急減も拍車をかけて課題先進地域と言われています。
そんな夕張市に借金4,000万円を抱えて札幌から移住したのが野田勝さんです。新型コロナウィルスのまん延により、札幌で自身が経営していたハンモックスタジオが立ち行かなくなり、仕事を失った野田さん。
そんな挫折を味わった野田さんは理想のライフスタイルを実現させ、人生を再出発する地として北海道夕張市を選び、2021年9月に移住。そんなどん底の状態」から夕張市に移住し、理想のライフスタイルを実現に向けてチャレンジする野田さんの自分史に迫ります。
\野田さんからのお知らせ/
現在、北海道夕張市にて空き家再生プロジェクトを進めています。夕張市は日本一空き家率の高い街で、街を歩けばそこら中に空き家があります。
さらに、大型ホテル2つが閉鎖し、市内の宿泊施設は4つしかなく、宿泊施設が不足しています。観光に来たくても、泊まれないからやめるという声も聞いています。
そのための施策として空き家を格安で譲ってもらいリノベーションして、民泊として運営します。その資金調達として、クラウドファンディングを活用します。どうか応援よろしくお願いいたします!
詳細は記事下欄へ
社会経験を積んでいない状態で教師になることに疑問を抱いていたことで見い出した未来への道すじとは?
「北海道教育大の生涯スポーツコースで学んでいました。教員免許取得の過程でニュースポーツという分野でお年寄りやどんな方でも一緒に楽しめるコンテンツと、そこから生まれる町おこしや教育論や指導法を体得してきた学校生活でした」(野田さん)
そう話す野田さんは生まれも育ちも札幌で18歳まで地元で過ごす。小さいころからスポーツや人にモノ物を教えることが好きだったが、教員になるために大学に行ったわけではなかった。
「大学は一般的に資格や免許を取得する機会に溢れていますが、この大学では大体の人は取得するであろう教員免許を僕は必要としませんでした。
なぜなら社会経験を積んでいない状態で、子供たちに将来に対してアドバイスをする自信がなかったですし、そんな人が教師になることに疑問を抱いていたからです」(野田さん)
進路を決めかねていた野田さんだったが、大学卒業前に柔道整復師の世界を知り専門学校へ。ここが人生のターニングポイントとなっていくことに。
「大学時代はサッカーでの怪我が多いことからフィジカル面の強化の必要性を感じ、自分も含めてチームメイトの運動処方のプログラムを書いていました。そんな原体験がきっかけで柔道整復師に巡り合えたんです。
スポーツクラブで専門職の経験や怪我で通っていた整骨院でリハビリをしていたので、その知識を活かせました」(野田さん)
チームメイトの役に立てることで、スポーツトレーナーや柔道整復師に興味を持った野田さんは考えた末に整骨院開業に辿り着ければ食べていけると仮説を立てて国家資格でもある柔道整復師を習得。
「トレーニングよりもストレッチによって体をケアすることが重要と自身の原体験から教わったので、メディカルとフィットネスをかけ合わせたコンテンツを提供したいと思うようになりました」(野田さん)
得意分野を仕事にできても食べていくことができない状況にモヤモヤを抱いた結果、出した答えは起業という選択肢
専門学校を卒業した野田さんのファーストキャリアは、整骨院とリハビリのデイサービスを手がける会社だった。
そこで野田さんが任されたのはデイサービスの機能訓練士(機械の動きを伝えたりする仕事)と専門職(怪我を治す整骨院の先生)だったがすぐに職務に慣れたと野田さんは話す。
「アルバイト時代に同じような経験をしていました。僕はスポーツクラブの午前中に来るお年寄り世代にレッスンを行っていたのでデイサービスと同じです。
まさに得意分野ですよね。早速就業翌日から自分なりにマニュアルを作り変えていきました。パーソナルトレーナーの資格を持ってたのでみんなに期待されていたのも後押しになりましたね」(野田さん)
しかし、野田さんの実働から収益にはなかなかコミットせず、とても大変な社会人生活だったと振り返る。
「実は専門学校3年生の25歳の年に結婚してるんですよ。子供が国家試験の1週間ぐらい前に生まれ、子供を抱っこしながら妻の入院先の病院で勉強をしていました。
多忙な状態で就職をしたものの手取りが15万円ぐらい。家族を養うためには到底足りず、副業を考えましたが夜は遅く休みもないため社会人は大変だと思いました」(野田さん)
アルバイトでしていたスポーツトレーナーは給料に加えて歩合給をもらっていたことに対して、社会人の厳しい現実を知り、これの窮地を脱するためには独立しないと厳しいと野田さんは悟る。
折しもネットワークビジネスでは成果を出していて伸びしろを感じていたこともあり、1年で最初に就職した会社や次に転職した会社も早々と退職。ただ、野田さんの中には自分の子供に生業をしっかり説明できる仕事がしたいと思っていた。
「何ができるか考えたときに、柔道整復師とフィットネスの長年の経験を活かしてメディカルフィットネスの施設を作ろうと起業の道を歩むことにしました」(野田さん)
事業拡大の最中に起こった妻の死が人生をふりかえる時間を与えて家族を最優先するライフスタイルへ
2014年にマンションの一室でパーソナルトレーニングジムを起業。3回の店舗拡大を経て2017年1月2日に札幌中島公園の国道沿いの路面店にエアリアルヨガスタジオを開業。道内初のハンモックを使ったヨガのレッスンを中心としたスタジオで、多くのメディアに取り上げられ軌道に乗り始めていた。
「僕は人生をかけてこのスタジオを頑張るんだと決めて2店舗目をオープンしました。2018年5月のことです。同年9月に法人化してスタッフを14名抱えながら11月にはリハビリ特化型デイサービスも開業しました。
結構借金も膨らんでいたし大変な思いもありましたが、これから頑張っていく気持ちのほうが勝っていました」(野田さん)
しかしちょうどそのとき、野田さんにとって大きな事件が起こる。そしてこれまでにはない挫折を味わうことになった。
「店舗を拡大して、スタッフを抱え込んで、これからという時ではあったんですが、ちょうどこのころに私たち家族に子どもが産まれたんです。でもちょうどそのとき、出産が原因で妻が亡くなってしまいました。2019年の2月、32歳の若さでした。
1歳の男の子と赤ん坊がいる中、保育園もまだ通わせられないので、働けなくなってしまいました。業務内容をふりかえっている時にふと、自分は仕事のことしか考えていなかったと感じたんです」(野田さん)
これまでずっと朝から晩まで仕事詰めの人生だが、お金が貯まったら一軒家を買って広い庭で子供たちと遊びながら朝にコーヒーを飲むゆっくりした暮らしがしたいと思っていたが妻の死によって突然崩れ去ってしまう。
野田さんは妻の死をきっかけに自分の本当にやりたいことや理想のライフスタイルは何なのかを考え直した結果、自分の本当にやりたい事は何なのかを考えると、家族と楽しく暮らすことが幸せだと気づき、家族を最優先にしようと心に決めたのだ。
コロナ禍でオンラインビジネスの可能性を探りながら大きな身銭を切りつつ試行錯誤する姿
妻を亡くしたことで子供や家族を最優先に考えるようになった野田さんは、子どもたちに何かあれば仕事を休む働き方がしたいと考えるようになった。
「会社を作って拡大したあかつきには、トップダウンで従業員を動かすようなことも考えましたが時間が必要です。ただ、オンラインと言ったリモートワークなら空き時間を活用して無駄を省けていつでもアクションが起こせる。そんな理想の働き方ができると思いました」(野田さん)
野田さんの理想の働き方を実現するきっかけとなったのが2020年2月、コロナ禍による緊急事態宣言であった。フィットネスには1,000人以上の会員がいたが、急にオンラインに切り替えることは難しい。
しかし5月の緊急事態宣言で休業を余儀なくされる。結果として2店舗の家賃とデイサービス運営費や維持費で毎月200万円が消えていくことに。
オンラインでの収益は多くて20万円ほどで採算性が悪いため、デイサービスは事業譲渡し全てを畳む決意をしたのだ。苦渋の決断だった。
地域の情勢と自己の生き方を重ね合わせ、導き出した答えが地域でリスタートすること
野田さんはコロナ禍で国からの資金調達によりIT化やデジタル化の知識を身につけ、さらにはコンサルをつけてマンツーマンでビジネスノウハウを学び、オンラインフィットネスを構築していった。その経験を活かし、野田さんはWEBコンサルタントへと転職し、新たなキャリアを築いていった。
また、友人の経営者よりコロナ禍でキャンプの需要が増える仮説に基づいて一緒にキャンプ場の経営をしないかと提案を受ける。そのいくつかの候補地を巡った一つに、夕張市があった。
夕張市役所とアポイントをとり、地域振興課の職員にアテンドをしてもらったことを機に、かつて遊園地で遊んだ思い出を懐かしく思い、何度か地域に関わっていくうちに愛着が湧いてきたという。
野田さんの借金はこの時点で4,000万円。この借金を考えたときに、自分の人生の風貌と夕張市の情勢がシンクロしており、改めて挑戦することの意義を感じ取る。そして野田さんは夕張への移住を考え始めたのだ。
「夕張はエネルギー革命で全てを失った上に観光でも試行錯誤しています。僕もコロナ禍により全てを失いました。リスタートする僕にとってはまさに千載一遇のチャンスだと思いました」(野田さん)
地域創生は何事も自分事として捉えること。法人設立はその手段として自分自身は地域に根付いて地域と共に創り続ける
自分にとって新天地としてこのまちとともに再出発の人生が始まると語る野田さん。自分自身が元気にいられることを意識しながら、地域も巻き込んで元気にできたら最高であり、暮らしを楽しみながら「こういうプロジェクトを好きでやっているんだ」と公言している人はカッコいいしそう言う存在でありたいと語る。
200万人分の1人として札幌にいるより夕張の6,600人分の1の方が野田勝としての価値は高くなるはずだと野田さんは意気込む。
「好きなまちで仕事をつくり、大事な価値観が実現できるのなら夢の一軒家を建ててもいい」という大きなビジョンを描きながら2021年10月、野田さんは夕張に子供たちと遊べる広い庭のある250坪の土地を購入し移住。
移住間もない1年が経ち野田さんは夕張でオンラインフィットネスのビジネスを必死に立て直しながら、2023年4月に「一般社団法人リスタート夕張」を設立。これまでSNSを使った情報発信などのセミナーを開き、市民との関係を強めている。
「地域を何とかするためには、まず自分からアクションを起こし自分事と捉えて発信していくことが重要です。法人設立も一つの手段であり、当事者意識を地域の方々に本気の姿勢を示したかったんです。
まだ大きな実績はありませんが『地域に根付いて地域と共に創り続ける』覚悟を見せるのが第一だと常に意識しています」(野田さん)
移住から1年以上経っても野田さんは謙虚な姿勢を崩さない。夕張で人生のリスタートを切った野田さんだからこそ、同じくどん底から這い上がろうとしている夕張のために何かをしたいと思いを馳せるのだった。
\野田さんからのお知らせ/
現在、北海道夕張市にて空き家再生プロジェクトを進めています。夕張市は日本一空き家率の高い街で、街を歩けばそこら中に空き家があります。さらに、大型ホテル2つが閉鎖し、市内の宿泊施設は4つしかなく、宿泊施設が不足しています。観光に来たくても、泊まれないからやめるという声も聞いています。
そのための施策として空き家を格安で譲ってもらいリノベーションして、民泊として運営します。その資金調達として、クラウドファンディングを活用します。どうか応援よろしくお願いいたします!
クラウドファンディングサイト
結び-Ending-
どん底を味わいながらも新しい道へと前進していく野田さんをただただかっこいいなと思いました。
ゼロから、いや、マイナスから進んでいく野田さんの暮らす夕張から目が離せません。
今、もし人生をやり直したいと考えている人がいれば、野田さんのような生き方を参考にしてみてはいかがでしょうか。何歳になっても人生のリスタートは切れるはずです。
■企画・著作
佐々木 将人 (Masato Sasaki)
就職を機に兵庫県から北海道に移住した社会人4年目。
人好きで、人×地域をテーマにした記事制作が得意。
【取材データ】
2023年5月5日 ハイブリット取材
【監修・取材協力】
一般社団法人リスタート夕張
・野田 勝様
取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。