地域人史-Interview-

ワクワクする方へ進んだ先にあったもの
〜愛知から富山に移って9年間。町で見つけた、自分らしい生き方〜
富山県朝日町
今回は徳田 聖一郎さんに
お話を伺いました

徳田 聖一郎(とくだ せいいちろう)さん:聖徳丸(泊漁協所属)代表
愛知県出身。高校卒業後は地元企業に勤務し、自動車関連の品質保証業務などに従事する。30歳を前に「このままでいいのか」と自身の生き方を見つめ直し、北海道・利尻島での漁業アルバイトを経験。その体験をきっかけに海の仕事への思いを強め、2017年に富山県朝日町の地域おこし協力隊として移住。定置網漁や刺し網漁などを学びながら地域に根を下ろし、卒業後に独立。「旨いもので幸せを届ける」を掲げ、鮮魚販売や飲食構想などにも取り組んでいる。現在は“愛知と朝日町をつなぐ存在”を目指しながら、海と人を結ぶ新たな挑戦を続けている。朝日町在住。
朝日町へ移住して9年。徳田聖一郎さんは、この町で漁を続けながら、多くの人との出会いを重ねてきました。
会社員時代、「仕事」は生活のために働くものだったといいます。しかし、獲った魚を届けた相手の笑顔や、「美味しかった」「元気をもらえた」という言葉に触れるうちに、その価値観は少しずつ変わっていきました。
“お金のために働く”から、“誰かに喜んでもらうために動く”へ。
朝日町での暮らしと挑戦は、徳田さん自身の生き方や考え方を大きく変えていったのです。
「ワクワクする方へ進む」。その選択の積み重ねの先にあったのは、人とのつながりに支えられながら、自分らしく生きていくという現在の姿でした。
「このままでいいのか」〜会社員時代に抱えていた違和感
現在、富山県朝日町で漁師として活動する徳田聖一郎さん。海へ出て魚を獲り、自ら販売し、人とのつながりを大切にしながら暮らすその姿からは、今の生き方を自然に選び取ってきたようにも見える。
しかし、もともと行動力があるタイプだったわけではないという。愛知県で生まれ育った徳田さんは、18歳から30歳頃まで同じ会社に勤めていた。
周囲と同じように働き、休日を過ごし、毎日を繰り返していく。安定した生活ではあったが、心のどこかには常に引っかかるものがあった。
会社員として働くことが当たり前。周囲も同じように働き、同じように年齢を重ねていく。その環境の中では、“別の生き方”を現実的に考えることはほとんどなかったという。
だが、30歳を迎える頃、その感覚に少しずつ変化が生まれていく。
「30歳を超えた時に、“このままずっとここで働くのかな”って急に現実味が出てきたんです」

誰かに強く背中を押されたわけではなかった。本を読んだり、YouTubeを見たりしながら、少しずつ外の世界の価値観に触れていった。そこで見えてきたのは、「今とは違う人生を選ぶ人たち」の存在。
「その頃から、本気で“変わりたい”って考え始めたんだと思います」
とはいえ、当時は今のように積極的に行動できる性格ではなかった。会社を辞めることへの不安も当然あった。それでも、自分の人生を変えるには、まず一歩動くしかない。そんな思いが少しずつ強くなっていった。
利尻島で知った、“会社員以外の生き方”が人生が動き始めるきっかけに
そんな中、徳田さんは土日を使って漁業体験へ足を運ぶようになる。そして、その延長線上で訪れたのが、北海道・利尻島でのホッケ漁のアルバイトだった。
三か月間、実際に島で暮らしながら働く。その経験は、徳田さんにとって大きな転機になった。
「会社員じゃなくても、生きていけるんだなって思えたんですよ」
自然の中で働き、地域の人と関わりながら暮らす日々。都市部での生活とはまったく違う時間の流れが、そこにはあった。
「やってみたら、案外怖くなかったんです」
その感覚は、徳田さんの中にあった不安を少しずつ変えていった。
もしあの時、行動していなかったら、今の自分はいない。そう振り返る徳田さんにとって、利尻島での経験は、“人生が動き始めた瞬間”だったのかもしれない。

“人に喜んでもらう”ことで見えてきた、商売の本当の意味
朝日町での暮らしに少しずつ慣れ始めた頃、徳田さんの中には、会社員時代にはなかった感覚が芽生え始めていた。
それは、「働く」ことに対する考え方そのものの変化だ。愛知で働いていた頃は、仕事とは生活のためにするものだった。決められた時間に働き、対価として給料を受け取る。それが当たり前だった。
「当時は、“お金のために働く”感覚が強かったですね。正直、嫌々やってる部分もあったと思います」
しかし、朝日町に来て漁業を始めると、その価値観が少しずつ変わっていった。自分が獲った魚を近所のお年寄りへ渡すと、「ありがとう」と笑顔で返してくれる。
時にはお礼にビールを持ってきてくれることもあった。そんな小さなやり取りの積み重ねが、徳田さんの心を大きく動かしていった。
「相手に喜んでもらって、そのお礼としてお金をいただく。商売って、本当はそういうことなんだと」
その感覚は、全国の消費者へ海産物を販売する中でも、より強くなっていく。産直サイトでは購入者から感謝のメッセージが届くことも。

「“誕生日なので注文しました”とか、“家族みんなで楽しみにしています”とか書いてあると、なんか嬉しくなるんです。そうすると、ちょっとおまけを入れたくなるんです」
もちろん、おまけを付ければ利益は減る。しかし、それ以上に「喜んでもらえた」実感の方が大きかった。実際、そうした積み重ねによって、リピーターや口コミが増えていった。
「結局、そういう気持ちって伝わるんですよね。喜んでもらえると、また頑張ろうって思えるし、それがまた次につながっていく」
利益だけを追いかけるのではなく、人との関係性を大切にする。その感覚は、朝日町という土地で暮らしたからこそ得られたものだった。
「行動すること」への意識の変化〜30歳の決断が変えた、“自分で選ぶ人生”
一方で、独立当初は不安も大きかった。経営の知識はほとんどなく、領収書や経費の仕組みすら分からない状態からのスタートだった。
商工会の勉強会に参加し、事業計画について学んだこともあったが、最終的には「やりながら覚えていった感覚が大きい」と振り返る。
「でも、やっぱり好きなことだったから学べたんだと思います。会社員の頃は、休みの日まで仕事のことなんて考えたくなかった。
でも今は、旅行に行っても“この売り方いいな”とか、“これ自分でも使えるかな”とか、自然と考るんですよ」
気づけば、“仕事”と“生活”の境界線も曖昧になっていた。それでも苦ではなかった。むしろ、自分の好きなことが日常の中に溶け込んでいる感覚だった。
そしてもう一つ、徳田さんの中で大きかったのが、「行動すること」への意識の変化だった。

元々、自分は積極的に動けるタイプではなかったという。高校卒業後は同じ会社に長く勤め、「辞めたい」と思いながらも行動に移せない日々が続いていた中で30歳になるときに踏み出した一歩。
「実際にやってみたら、“案外なんとかなるじゃん”って思えたんですよね。そこからです。“行動しなきゃ何も変わらない”って本気で思うようになったのは」
あの時の一歩が、今の自分につながっている。だからこそ今は、「失敗するかもしれない」という不安より、「やってみたい」気持ちの方が勝るのだという。
応援してくれる人たちがいたから、“もっと先”を見られるようになった
朝日町で漁業を続ける中で、徳田さんの周囲には少しずつ“応援してくれる人たち”が増え、多くの人が徳田さんの活動を見守るようになっていた。
「応援してくれる人がいるなら、“もっとすごいことやるから見ててほしい”っていう感覚でしたね。プレッシャーというより、“もっとレベルアップしたい”っていう感じでした」
実際、活動が評価され、表彰を受けた際には、応援してきた人たちも自分のことのように喜んでくれた。その姿を見て、「もっと頑張りたい」と自然に思えたという。
「応援する側って、成長していく姿を見るのが嬉しいと思うんですよ。だから、自分も止まりたくないなって」
しかし、漁師の仕事は、魚を獲るだけでは成り立たない。自分のことを知ってもらい、地域と関わり、人とつながっていくこともまた、大切な仕事の一部。
だからこそ、人との付き合い方や距離感がとても重要になる。

会社員時代には、組織のルールに従って動くことが多かった。しかし、地域で生きることは、“正解が一つではない世界”に飛び込むことでもあった。それでも、徳田さんはそこに自由さも感じていた。
「社長がいるわけじゃないし、全部自分次第なんですよね。大変な部分もあるけど、その分自由でもある」
だからこそ、誰かに決められた人生ではなく、自分自身で選び取る感覚が強くなっていった。
“この場所だからできる体験”を届けたい。愛知と朝日町をつなぐ、新しい挑戦
徳田さんの中には新たな構想も芽生えている。それが、“愛知と富山をつなぐこと”。
愛知県出身の徳田さんにとって、故郷は今でも大切な場所だ。地元が嫌で飛び出したわけではないからこそ、富山の海の幸を愛知へ届けたい思いが自然と生まれてきた。
実際に愛知のスーパーへ足を運び、「朝日町の魚を販売したい」と相談を始めている。
「愛知の人って、こっちの新鮮な魚を食べる機会があまりないと思うんです。だから、“こんな美味しいものがあるんだ”って知ってもらいたい」
さらに将来的には、海辺で海鮮丼や寿司を楽しめる場づくりも思いをめぐらせる。それは単なる飲食ではなく、“この場所だからこそ味わえる体験”を届けたい思いでもあった。
「やっぱり、自分が楽しいと思うことをやっていきたいですよね。その結果として、朝日町がもっと面白い場所になっていけばいいと思います」

不安より“ワクワク”を信じて進んだ先にあったもの。「やってみたい」を選び続けた9年間
朝日町に移り住んで、9年。徳田さんは今、「毎日が楽しい」と自然に言えるようになっていた。
「ただ、楽しすぎるんですよね」
そう笑う姿には、無理に作ったような明るさではなく、自分で選んだ生き方を歩いている人特有の実感がにじんでいた。
もちろん、漁業という仕事は楽なことばかりではない。自然相手の厳しさもあり、収入が安定するとは限らない。地域の中で関係性を築いていく難しさもある。それでも徳田さんはこう言う。
「結局、行動したから今があるんですよね。あの時動いてなかったら、今の自分はなかったと思う」
そして、その積み重ねの先で見えてきたのが、“人に喜んでもらうこと”だった。美味しい魚を届け、海を眺めながら食べる時間を作る。
そして、町の景色や空気を知ってもらい、そこに触れた人たちが笑顔になること。その瞬間に、徳田さん自身もまた喜びを感じていた。

人に喜んでもらえることが、自分の喜びに。“旨いもので幸せを届ける”という生き方
「自分が幸せを感じる時って、“美味しいもの食べた時”なんですよ。だから、自分もそういう幸せを届けたいなと思うんです」
“旨いもので幸せを届ける”。その言葉は、単なるキャッチコピーではなく、徳田さん自身の実感から生まれたものだった。
待っているだけでは、何も始まらない。
不安があっても、一歩踏み出してみる。その先で出会った人や景色が、また次の未来を連れてきてくれる。
ワクワクする方へ進み続けた9年間。その先にあったのは、“自分らしく生きる”という、シンプルで力強い答えだった。

結び-Ending-
今回、徳田聖一郎さんに朝日町で過ごしてきた9年間を振り返っていただきました。印象的だったのは、「人に喜んでもらうことが、自分の喜びになった」という言葉です。
会社員時代には見えていなかった“働く意味”を、この町での暮らしや人との関わりの中で少しずつ見つけていったことが伝わってきました。
また、「ワクワクする方へ進む」という感覚を自然に語る姿からは、行動することでしか見えない景色があることも感じさせられました。
徳田さんの歩みは、“自分らしく生きる”ことを静かに問いかけてくれるような時間だったように思います。

■企画・著作
中野 隆行(Nakano Takayuki)
夕張市での写真活動を機に
地域の人たちの価値観に触れたことがきっかけで
このメディアを立ち上げる
【取材データ】
2026/05/16
【監修・取材協力】
徳田 聖一郎様
取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。本記事の無断転載を禁じます。
