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地域人史-Interview-

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外を知ったからこそ、帰りたい場所が見えた
〜まちと関わり続けるという生き方〜

愛知県刈谷市

今回は尾崎 佳織さんに
お話を伺いました
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尾崎 佳織(おざき かおり)さん

刈谷市役所 都市政策部 まちづくり推進課 課長補佐兼係長(取材当時)/愛知県出身。大学進学を機に鳥取へ移り、乾燥地における土壌研究に取り組む。自然に囲まれた環境での生活と研究活動を通して「外の世界」を体感。その後、地元に戻り公務員としての道を歩む。部署異動を重ねながら多様な業務に携わる中で、地域の人々と深く関わるまちづくりに魅力を見出す。現在は、誰もが「やりたいこと」を持ち寄り実現できる“場づくり”を大切にしながら、まちと関わり続けている。時間を見つけては全国を旅し、外の視点から地元を見つめ直すことをライフワークとしている。刈谷市在住。

時間を見つけては全国を旅する。見知らぬ土地を歩き、その土地の空気や人に触れることが好きな人も多いのではないでしょうか。


今回お話を伺ったのは、一度は地元を離れ、大学卒業後に葛藤を経て、地元に帰る選択をした一人の女性です。


鳥取での学生生活。豊かな自然と仲間に囲まれた日々の中で、研究に没頭しながら「外の世界」を知る時間を過ごしていました。


その経験は、やがて一つの気づきへとつながります。


「一度外に出てみると、自分の街の良さって改めてわかるんです」


そう話す彼女は今、“まちと関わり続ける生き方”を選んでいます。そんな彼女の歩みと、これからの在り方をお届けします。

時刻表をめくりながら描いていた、“まだ見ぬルート”への想像


実際に旅に出ることよりも、「どうすれば行けるのか」を考える時間が好きだった。尾崎さんはそう振り返る。


中学生の頃、愛読書のように手にしていたのは分厚い時刻表だった。ページをめくりながら、どの路線を使えば遠くまで行けるのか、一日でどこまで辿り着けるのかを考える。


ときには、深夜に家を出発した場合のルートまで想定し、「この経路なら北海道まで行けるかもしれない」と思いを巡らせたこともあったという。


「このルートはダメだったけど、こっちならどうだろう」


そんなふうに試行錯誤を繰り返しながら、別の可能性を探していく。その過程そのものが楽しく、時間を忘れて没頭していた。


かつて存在した大阪〜米子間を結んだ「急行だいせん」(福知山にて)
かつて存在した大阪〜米子間を結んだ「急行だいせん」(福知山にて)

また、地名への興味も強かった。見慣れない漢字や読み方に惹かれ、その由来を調べていくうちに、土地の成り立ちや風景まで想像するようになっていった。


「なんでこんな名前なんだろう、って調べていくと、山があったり、池があったりすることがわかってくるんですよね」


地図や時刻表の上で広がっていた世界は、やがて現実の風景と重なりながら、少しずつ輪郭を持ちはじめていった。


鳥取の地で広がった視野。研究と人との関わりの中で見えたもの


その興味はやがて、「実際にその場所に行ってみたい」という思いへと変わっていく。


大学進学を機に尾崎さんが選んだのは、鳥取だった。乾燥地研究に関心を持ち、砂丘をフィールドとした研究に取り組みたいと考えたからだ。


研究施設は、広がる砂丘の中にぽつんと建っていた。周囲には畑があり、ドーム状の施設の中では土壌改良の実験が行われている。人工的に雨を降らせ、土の中の成分を変えながら、どのように環境が変化するのかを調べていく。


夜遅くまで一人で実験を続けることもあった。数値の変化を追いながら、結果がどう現れるのかを確かめていく時間は、決して楽なものではなかったが、その分だけ面白さもあったという。


一方で、研究だけでなく、人との関わりも大きな経験となった。


所属していた「児童文化研究会」では、子どもたちと関わる活動を行っていた。長期休暇には、子どもたちを連れて県外へ出かけるプログラムにも参加した。


フェリーに乗り、一晩を共に過ごす。初めて県外に出る子、初めて新幹線を見る子。その一つひとつの体験に目を輝かせる姿が、強く印象に残っている。


「夜、甲板に出ると、ものすごい星空で。天の川が見えたんです」


自然に囲まれた鳥取での生活は、研究だけでなく、人や風景との出会いを通して、尾崎さんの中に新たな視点をもたらしていった。


外の世界を知ったからこそ見えた、地元の価値と「帰る」という選択


充実した学生生活を送りながらも、尾崎さんの中には少しずつ変化が生まれていく。


一人暮らしへの憧れは満たされ、自由な生活も楽しんだ一方で、どこかに“寂しさ”のような感覚もあったという。


「楽しかったんですけど、やっぱり少し寂しさもあったのかなと思います」


さらに、周囲の友人たちが次々と地元へ戻っていく姿も影響した。自然豊かな鳥取は魅力的だったが、生活の利便性という現実も感じていた。


そうした積み重ねの中で、次第に「地元に帰る」という選択が現実味を帯びていく。興味深いのは、この決断が単なる“戻る”ではなく、「外を知った上での選択」だったという点だ。


鳥取の風景(湯梨浜町にて)
鳥取の風景(湯梨浜町にて)

鳥取での経験を通して、尾崎さんは初めて、自分の地元を客観的に見る視点を手に入れた。


「一度外に出てみると、自分のまちの良さって改めてわかると思うんです」


その気づきは、後の生き方にもつながっていく。


地元に戻ることは、過去に戻ることではない。むしろ、外の世界を知ったからこそ、自分の居場所を主体的に選び直す行為だった。


想定外だった「公務員」という選択と、現実の中で見つけた面白さ


就職活動当初、尾崎さんの第一志望は研究職だった。大学で取り組んでいた土壌研究の面白さを、そのまま仕事にしたいと考えていたからだ。


しかし、時代は就職氷河期。専門性の高い研究職の門は狭く、思うようには進まなかった。そんな中で勧められたのが、公務員試験だった。


公務員になりたいとは全く思っていなかったです。本当に、ぎりぎりで申し込んで受けた感じでした」


準備期間も十分とは言えない中での受験。それでも結果は合格。自分でも、そして周囲にとっても意外な進路だった。


「友達にも、いまだに“まさか公務員になるなんて”って言われますね」


戸惑いもあったが、合格を知ったときは「素直に嬉しかった」と振り返る。


こうして始まった公務員としてのキャリアは、当初の想定とは異なるものだった。しかし、その中で新たな面白さを見出していくことになる。


異動のたびに「ゼロから学ぶ」。変化の中で磨かれていった自分


公務員の仕事は、ひとつの分野にとどまるものではない。数年ごとに部署が変わり、そのたびに新しい業務を覚えていく必要がある。


「異動すると、また一から勉強なんです。法律も変わるので、その都度覚え直さなきゃいけない」


最初の頃は、覚えることの多さに圧倒されることもあった。


「上司に“今、頭から湯気出てませんか?”って言っていたくらい大変でした」


それでも、尾崎さんはその環境を前向きに捉えている。


勉強すること自体は嫌いじゃないので。吸収していくのが面白いんです」


変化し続ける環境の中で、自分自身もアップデートしていく。その積み重ねが、今の自分を形づくっている。


また、仕事を通じて得たものは知識だけではない。共に働く仲間や、時に厳しい対応を求められる経験も含めて、すべてが糧になっているという。


「いろんな苦労もありますけど、それも含めていい経験をさせてもらっているなと思います」


人と関わることで見えてきた、「まち」との距離の近さ


これまでのキャリアの中でも、特に印象に残っているのが「まちづくり推進課」での経験だ。


ここで尾崎さんは、地域の人々と深く関わる機会を得た。


「まちの人たちと、すごく近い距離で関われたのが一番大きかったです」


行政としてではなく、一人の人として地域と向き合う。その中で、まちの持つ力や、人の想いに触れていった。


この経験は、単なる業務の枠を超えて、尾崎さん自身の価値観にも影響を与えている。


「たとえ異動になっても、まちとは関わり続けていきたいと思っています」


それは“仕事だから関わる”のではなく、“一人の市民として関わりたい”という意識の表れでもあった。


「やりたい」を持ち寄れる場をつくる。これからの自分の在り方


インタビューの終盤、尾崎さんはこれからのビジョンについて静かに語った。


キーワードは、「場づくり」だ。


やりたいことがある人が、それを実現できる場があったらいいなと思っています」


年齢や立場に関係なく、それぞれが持つ想いや挑戦したいこと。それを一人で抱えるのではなく、誰かと共有し、形にしていける場所。


「一人ではできないことでも、誰かと一緒ならできることもあると思うんです」


そのために必要なのは、まず“集まれる場”“話せる場”。


これまで関わってきたまちづくりの経験も、その延長線上にある。


そしてその先に見据えているのは、「人がまちを好きになること」だ。


「まずは、このまちを好きになって欲しいのです」


まちを好きになる人が増えれば、そこに住み続けたい、働きたい、何かを始めたいと思う人も増えていく。


それが結果的に、まちの未来をつくっていく。


外を知り、内を見つめ、そして今。自分の選択で関わり続ける


一度外に出て、違う土地で暮らした経験。そこから見えた地元の価値。そして、仕事を通じて関わるようになった「まち」という存在。


そのすべてがつながり、今の尾崎さんの在り方を形づくっている。


外から見て初めて、自分のまちの良さに気づくことってあると思うんです」


だからこそ、これからも関わり続けたい。それは義務でも役割でもなく、「自分で選んだ関わり方」だ。


そしてもう一つの変化がある。

「関わっていく中で、自分自身もこのまちをもっと好きになっていくんだと思います」


まちを良くしたい想いは、同時に、自分自身の生き方とも重なっていく


誰かのためのまちづくりでありながら、それは同時に、自分の人生を豊かにする選択でもあるのかもしれない。



結び-Ending-

外の世界を知ることで、はじめて見えてくるものがあります。尾崎さんにとってそれは、自分の生まれ育ったまちの価値だったのかもしれません。


鳥取での学生生活、研究に没頭した日々、そして一人で選び取ってきた進路。その積み重ねが、「地元で生きる」という選択に確かな意味を与えているように感じました。


印象的だったのは、「誰かと一緒ならできることがある」という言葉です。自分一人ではなく、人と関わることで可能性が広がっていく。

そのための“場”をつくり続けたいという想いは、これまでの経験すべてがつながって生まれたものなのでしょう。


まちと関わることは、自分自身と向き合い続けることでもあります。尾崎さんの歩みは、そのことを静かに教えてくれます。

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■企画・著作
中野 隆行(Nakano Takayuki)
地域での写真活動を機に
地域の人たちの価値観に触れたことがきっかけで
このメディアを立ち上げる

【取材データ】
2025年3月19日
【監修・取材協力】
尾崎 佳織様

取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。

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