地域人史-Interview-

「その人がやりたいと思ったことを、私は応援したい」
〜応援されてきた人生から、誰かを応援する人生へ〜
愛媛県西予市(野村地区)
今回はシーバース 玲名さんに
お話を伺いました

シーバース 玲名(シーバース れいな)さん: entohouse(エントハウス) BAR&GUESTHOUSE オーナー
神奈川県藤沢市出身。アメリカ人の父と日本人の母のもとで育ち、型にはまらず、自分のやりたいことに挑戦することを大切にしてきた。西日本豪雨の災害支援をきっかけに愛媛県西予市野村町を訪れたことが人生の転機となり、その後、地域おこし協力隊として活動。現在はゲストハウスやBARを営みながら、子育てにも向き合う。旅人やヘルパー、地域の人々が自然につながっていく姿に喜びを感じ、自らも周囲に支えられながら、誰かの「やってみたい」を否定せず応援する生き方を大切にしている。愛媛県西予市野村町在住。
「その人がやりたいと思ったことを、私は応援したい」。そう語るのは、愛媛県西予市野村町でゲストハウス「entohouse BAR&GUESTHOUSE(以下、entohouse)」などを営むシーバース 玲名さんです。
西日本豪雨をきっかけに野村を訪れ、自らも新しい一歩を踏み出してきました。やがてこの場所には、旅人やヘルパー、地域の人たちが集まり、本来なら出会わなかった人同士のつながりが生まれていきます。
一方、出産を経験したことで、それまでの人生の優先順位にも大きな変化が訪れました。両親から受け取った自由、野村で出会った人たちからの応援、そして母となった今。
玲名さんが誰かの「やってみたい」を応援したいと思うようになった背景には、どんな人生の歩みがあったのでしょうか。
「これを守るために生きなければ」。出産で変わった人生の優先順位
「これまでの人生で、一番印象に残っている出来事は何ですか?」
そう尋ねると、玲名さんから返ってきたのは「出産」という答えだった。
それまでの玲名さんは、自分が面白いと思うこと、やってみたいと思うことを中心に生きてきたという。しかし、子どもが生まれた瞬間、その感覚は大きく変わった。
「これを守るために生きなければ」
それまで自分のためにあった人生に、自分以上に大切にしたい存在が加わった瞬間だった。「私がいないとダメだな」と思えるようになり、人生の優先順位そのものが変わったという。

同時に、出産は玲名さんに、自分を育ててくれた母親の存在を改めて意識させる出来事にもなった。
出産した初日の夜。授乳しようとしても、初めてのことでうまくいかない。赤ちゃんは一生懸命飲もうとするが飲んでくれず、赤ちゃんも泣き、自分も泣きそうになる。そんな時、ふと自分の母親のことが頭に浮かんだ。
「自分のお母さんも、こんな思いをして、きっと何日も、何年も、自分のために費やしてくれたんだ」
そう思うと、涙があふれた。それまでにも両親への感謝はあった。しかし、自分自身が親になったことで初めて実感した、「生まれて初めての、本当の意味での感謝」だったという。
その気持ちを伝えようと、出産直後には母親へ手紙を書き、父親にも言葉をつづった。
そして、もう一つ変わったものがある。自分自身の生き方である。玲名さんは以前の自分について、「結構、自暴自棄みたいなタイプだった」と振り返る。
しかし、子どもの人生にとって、自分はこれから大切な存在になる。そのことを意識すると、「人間としてしっかり生きていこう」「子どもに恥ずかしくないように生きよう」と考えるようになった。
一方で、子どもが生まれる前から続けてきたentohouseも、玲名さんにとって大切な自己実現の場所である。自分のやりたいことを形にし、育てていく場所だった。
そこへ母親という新しい役割が加わった。自分の挑戦を続けたいという思いと、子どもを大切にしたいという思い。その二つを抱えながら生きる日々が始まったのである。
出産からまだ数年。玲名さん自身も、子どもを育てながら、自分自身も成長している途中なのだと感じている。
では、玲名さんが子どもにも受け継いでいきたいと考える自由に挑戦する生き方は、どこから生まれたのだろうか。その原点をたどると、玲名さん自身が両親から受け取ってきたものが見えてくる。

「やってみたらいい」、両親から受け取った、自由に挑戦するという生き方
玲名さんが大切にしている「誰かのやりたいことを応援する」という考え方。その源をたどっていくと、幼い頃から両親のもとで育まれてきた自由や信頼と重なっていく。
アメリカ人の父と日本人の母のもと、神奈川県藤沢市で育った玲名さん。両親から「ここに行かなければいけない」「こういう仕事をしなければいけない」と、人生の進む方向を決められた記憶はほとんどないという。
何かを「やりたい」と口にすれば、母は否定するのではなく、「じゃあ、一緒に見に行ってみる?」と背中を押してくれた。
母自身も若い頃はバンドでドラムを叩くなど、自由な生き方をしてきたという。父もまた、玲名さんの考えに細かく意見することはあったものの、振り返れば、物事を考える方法を身につけさせてもらったのは父親だったと感じている。
両親は2009年に自分たちで英会話学校を始め、二人で経営してきた。
そんな両親の姿を見ながら育ったことで、「型にはまった人生じゃなくてもいい」という感覚が、知らず知らずのうちに玲名さんの中に育っていった。そしてもう一つ、大きかったのが「信じてもらえた」という経験である。

自分が何かを選ぼうとした時、その判断を頭ごなしに否定されるのではなく、まず信じてもらえた。その積み重ねが、自分自身を信じて行動する力につながったのではないかと玲名さんは振り返る。
その価値観は、母となった今にも受け継がれている。まだ幼いわが子が、いつか「これをやってみたい」と言った時。
玲名さんは、やりたいことをただ叶えてあげるのではなく、「なぜやりたいのか」を一緒に考え、そのためにどうすればいいのかを一緒に探していける親でありたいという。
そして、たとえその先に失敗が待っていたとしても、「こうすると失敗するからやめなさい」と先回りして止めるのではなく、
「失敗しても大丈夫だから、いろいろやってみな」
そう言える親でありたいと話す。そこには、自分自身が挑戦してきたからこその思いもある。
玲名さんは事業を始める時、「失敗した経験も作らないとダメだ」と自分に言い聞かせたという。失敗したとしても、なぜうまくいかなかったのかを自分で考えた経験は残る。それ自体が、いつか人生の価値になると考えたからだ。
誰かに正解を用意してもらうのではなく、自分で選んでやってみる。その結果から、また次の一歩を考える。
両親から受け取った「自由」は、玲名さんの中でそうした生き方を大切にしてきた玲名さんに、その後、自分自身への見方を変えるほどの大きな一歩が訪れる。その舞台となったのが、愛媛県西予市野村町だった。
「新しい人間になった」。西日本豪雨をきっかけに野村へ踏み出した一歩
玲名さんが「今の自分をつくっている原点」として挙げたのが、愛媛県西予市野村町との出会いだった。
きっかけは、2018年の西日本豪雨である。災害支援のため野村へ向かうことになった玲名さんは、神戸空港から自ら車を運転して現地を目指した。
今でこそ何百キロもの距離を運転することを「大したことではない」と振り返るが、当時は免許を取得して間もなく、運転経験もまだ浅かった。玲名さんにとって、それは大きな挑戦だった。
「絶対、自分がそんなことをしたら失敗するのではないか」
そんな不安を抱えながらも、実際にやってみると野村までたどり着くことができた。その経験は、単に長距離を運転できたという成功体験ではなかった。
「その前と後で、自分の自信みたいなものが変わった」
できないと思っていたことでも、一歩踏み出せばできるかもしれない。その実感は、その後の玲名さんの行動にもつながっていった。

もし、あの時の一歩がなければ、今の事業を始めることもできなかったのではないかと、玲名さんは振り返る。
野村へ来てから約8年。決して人生のすべてを過ごしてきたほど長い年月ではない。それでも、移住する前と後では、自分自身に対する見方が大きく変わったという。
「本当にそこで、新しい人間になったって自分では思って」
野村は玲名さんにとって、単に移り住んだ場所ではない。「できないかもしれない」と思う自分を越えて、一歩踏み出すことを知った場所なのである。
そして、その一歩から始まったentohouseには、やがて玲名さん自身が想像していなかった人と人とのつながりが生まれていく。
そこにいてあげることも応援に。entohouseから生まれる人と人とのつながり
野村でentohouseを始めた玲名さん。しかし、その歩みは決して一人で成し遂げたものではなかった。
entohouseを始める際にはワークショップなどを開き、地域の人たちに協力を呼びかけた。
時には厳しい意見をもらうこともあったが、それも相手なりの応援なのだと受け止めてきた。
「こんなにも人々が応援してくれるんだ」
その経験があるからこそ、玲名さんは誰かが「やってみたい」と動き出した時、その思いを簡単には否定したくないという。
知り合いがクラウドファンディングに挑戦していれば、成功するかどうかよりも、まず応援したくなる。

「やりたい」と思っている人がいれば、その思いを否定せず、まず応援する。そうした態度を示す人がいることで、挑戦する力が生まれることもある。
「そこにいてあげるっていうこと自体が、すごい応援になるのかな」
と玲名さんは話す。そんな思いは、entohouseにやって来るヘルパーとの関係にも重なる。
当初は「誰か手伝ってくれる人がいたらいい」という思いから始めたヘルパーの受け入れだった。
しかし、滞在する若者が自分の得意なことを生かしたり、地域について発信したりするうちに、地域の人から「うちでも働いてほしい」と声がかかるようになった。
玲名さんが意図して人をつないだわけではない。それでもentohouseを介して、本来なら出会わなかった人同士が出会い、その関係が野村を離れた後にも続いている。
「人と人が出会ったり、つながったりしている場を見た時に、私は『生まれてきてよかったな』って思う」
自分がその輪の中心にいなくてもいい。自分がつくった場所から人と人との関係が生まれていくこと。
それが玲名さんにとっての「自己実現」でもある。一方で、自分が誰かを育てているという感覚はないという。
「スタッフさんから学ぶことの方が100倍多い」
誰かを一方的に応援するのではなく、自分もまた周囲から応援され、出会った人から学んでいる。
entohouseに生まれているのは、そんな応援が行き来する関係なのかもしれない。

ここからまた、新たなスタート。母になった今、もう一度挑戦する自分へ
entohouseを始めて約5年。玲名さんには今、少し「足踏みしている」と感じる自分がいる。本当はもっとやってみたいことがある。
古いものを扱う店や、地域で朝食を食べられる場所など、頭の中にはいくつもの未来が浮かんでいる。
しかし、日々の仕事に加えて子育てもあり、目の前のことに追われるうちに、いつの間にか「守りに入っている自分」がいたという。
そんな自分に気づかせてくれるのも、entohouseを訪れるヘルパーたちだった。それぞれの場所からやって来て、自分のやりたいことに向かって自由に動いていく。
その姿を見ながら玲名さんは、entohouseを続けることが、自分自身の挑戦を止める理由になってしまっては違うのではないか、と感じるようになった。
entohouseは、少なくとも10年は続けようと考えて始めた場所だという。そして今、その半分となる5年を迎えた。
「ここからまた、新たなスタートかな」
できると分かっていることだけを選ぶのではなく、やったことがないこと、できないかもしれないことにも、もう一度挑戦していきたい。
インタビューを通して、玲名さん自身もそんな思いを改めて確かめていた。
その先には、母親として子どもに見せたい背中もある。いつか子どもが「やってみたい」と言った時、自分も両親からそうしてもらったように、その思いを信じたい。
いつか子どもが「やってみたい」と言った時、自分も両親からそうしてもらったように、その思いを信じられる母親でありたい。
「子どもに恥ずかしくないように、改めてもっと頑張っていきたい」
誰かの「やってみたい」を応援してきた玲名さんもまた、周囲の人たちに支えられ、刺激を受けながら歩いている。
応援する人であり、応援される人でもある。その循環の中で、玲名さんの次の挑戦が始まろうとしている。

結び-Ending-
今回のお話を伺いながら印象に残ったのは、玲名さんにとって「応援すること」が、誰かを正しい方向へ導くことではないということでした。
「やってみたい」という気持ちをまず受け止め、たとえ失敗するかもしれなくても、その人のそばにいる。それは、玲名さん自身が両親や野村の人たちから受け取ってきたものでもあります。
そしてentohouseでは、玲名さんが一方的に誰かを応援するのではなく、訪れる人たちから学び、自分自身も背中を押されていました。人は応援する側とされる側に分かれるのではなく、その立場を行き来しながら生きていくのかもしれません。
今回のインタビューは、玲名さん自身がもう一度「挑戦する自分」を見つめ直す時間にもなったように感じました。

■企画・著作
中野 隆行(Nakano Takayuki)
地域での写真活動を機に
地域の人たちの価値観に触れたことがきっかけで
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【取材データ】
2026年8月10日
【監修・取材協力】
entohouse BAR&GUESTHOUSE
シーバース 玲名様
取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。本記事の無断転載を禁じます。
