地域人史-Interview-
-僕は勉強はどちらかと言うと苦手なほうでした-
学生時代に背中を押してくれた恩師に育まれた若者のチャレンジ精神の思考と行動とは
鹿児島県霧島市(横川地区)
今回は古賀 友佑太さんに
お話を伺いました
古賀 友佑太(こが ゆうた)さん
不為(ふため)代表。福岡県久留米市出身。2024年3月福岡大学商学部商学科卒業。2024年6月、霧島市横川地区へ移住。一般社団法人 横川kito 行政事業・プロモーション事業に参画。株式会社FoodBase 広報事業担当。様々な地域づくり企業と業務委託を行いながら不為という屋号で古着屋の物販事業を行う。
人口が少ない地域で何かを始めようとする時、一緒に手を動かしてくれる協力者がいなければ難しいと思うのは多くの人が感じることです。
そんな地域に単身で移住し、お金よりも地域に貢献するために生業をつくり、チャレンジをする人に焦点を当てて生き方を伺ってきました。
今回は勉強が苦手でも克服することができれば何でもできることを改めて実感し、若者に元気と勇気を分けてもらえる記事としてお届け。
小さい頃から何かに貢献することで喜びを得ることから挑戦することの連続に
「小学校時代は割とお調子モノで自由奔放に学校生活を送っていました。当時から人前に立つのが大好きだったんです」(古賀さん)
そう話す古賀さんは当時の将来の夢がお笑い芸人だったという。人を笑わせることに喜びを感じながら周りから注目される存在になりたいと思っていた。
古賀さんは幼い頃から挑戦することの連続だったとふりかえる。その中で自転車に乗る練習を祖母の家でやっていた時、不安を抱きながらも必死になっていたり、地域の和太鼓チームに所属して夏の暑い時期でも汗にまみれながら太鼓を叩いていたことが思い出深いと話す。
何かに挑戦することが周囲からの注目を浴びると悟ったのだろう。学習塾や書道、そして水泳にも力を入れた。中学校ではソフトテニスに没頭。
年が4つ離れた古賀さんの姉が部活でテニス部に所属していた影響を受ける。人の背中を追うようになった形だ。先輩やコーチに叱咤激励を受けながらも楽しく過ごしたという。
苦手意識を克服できることを恩師に教わりながら育んだ起業家としての思考と行動
そんな古賀さんの転機は中学校3年の高校受験の時だ。「僕は勉強はどちらかと言うと苦手なほうだった」と話す古賀さんは、中学校3年生になって進路のことで路頭に迷った際、長年お世話になっていた塾の先生が伴走してくれたおかげで苦手意識を克服できたという。
苦手意識は誰でも放置してしまいがちだが、その状況を救ってくれた先生がいたからこそ今の自分があるのだと話す古賀さん。苦手な部分は克服できることを身をもって体験させてくれた恩師でもあるという。おかげで高校時代は友人と楽しく過ごすことができたという。
「高校生になると数人の仲間内で自分たちでオリジナルの洋服を作りたくなって。軽いノリだったんですが、そのときコーポレートロゴを作ろうと何となく思いついた屋号は『不為(ふため)』だったんです。直訳は“ためにならず”ですが、その上に斜線を引くことで『ためにならないわけではない』ってポジティブに表現する意味合いを後付けしたんです」(古賀さん)
当時、ジャパニズムとストリートを掛け合わせて生まれたファッション通販ブランド「LONELY/論理」のネーミングプロセスに共感。自分たちも薄っぺらな屋号にならないようにデザインしたロゴに意味合いを紐付けた。後に起業した際の屋号となる。
キャンパスライフを楽しめなくても前向きな気持ちで注力できたこととは?
そんな経緯を経て大学へ進学したが、大学生活は平坦な道のりではなかった。コロナ禍の影響を受けて大学生活の半分はリモート授業に。キャンパスライフを楽しむことができず、少数の限られた友人と過ごすことが多かった。
この間もネガティブに陥ることはなかったという。在宅時間が増えて新しいこと始める気持ちで今まで一切興味を持たなかった読書に手を出してみたら面白かったのだ。
他にも挑戦することで新たな分野を開拓できると前向きな気持ちで注力することができたという。このとき、ふと思いついたのが古着屋だった。大学生活が一年過ぎようとしていた時だった。
「父と母も洋服好きで特に父は洋服の収集癖もあって小さい頃から服に囲まれる生活が影響したのか、古着屋をやってみたいと思うようになったんです」(古賀さん)
「好き」から生業に。意思ある挑戦を根気強く応援してくれる伴走者
両親の趣味に影響されて洋服が好きになったことが、自分のやりたいことを位置付ける理由になったと話す古賀さん。この「好き」という気持ちが自然に目利きができるように作用していったように思える。そして、コロナ禍のタイミングも相まって花開いたと言っても過言ではない。ではどのようなプロセスを経て起業したのか。
「半年間ぐらいは事業構想を形作るために大学の先生が古着屋事業として全国に店舗を展開する会社の広報部長であるMさんを紹介してくれたんです」(古賀さん)
先生は学生の意思ある挑戦を応援してくれる伴走者だと古賀さんは表現する。そして紹介されたM氏はそんなチャレンジ精神ある古賀さんを「面白い若者が話したいと思っているようだ」と軽いノリで会いに来たのだが、実際にフタを開けて見たらまるで違っていた。
「実際に僕がMさんに『古着屋をやりたいのです!色々教えてください。可能なら月に1回メンタリングをお願いします』とガツガツ感を出していたようで、単なる学生との交流を楽しみにしていたイメージを払拭する形になってしまったんです。笑」(古賀さん)
現場での経験を積めば不安よりもワクワク感が上回り、地域で提供したい価値を生み出すこと
その後、古賀さんは無償でメンタリングをM氏から受けながら、かつ、ポップアップ出店にも誘ってもらい、アパレル物販現場での経験を積みながらイメージを掴んでいく。大変な部分はもちろんあるが、それ以上にワクワク感が上回っていて自分に向いている生業だと確信した。そんな古賀さんが大切にするものとは何だろうか?
「僕が届けたい価値は2つあって、1つはこれまで洋服に興味がなかった方が洋服を知ること・着ることの楽しさを発見をしていただく原体験を作ること。もう1つは、地域の公民館的ないろんな人が集える空間です」(古賀さん)
古賀さんは買物目的というよりも、「何となくそこに行けば誰にかに会えて」「交流が生まれて」「ワクワクが膨らむ」そんなお店、場所にしていきたいそうだ。
人を救うことに重きを置きながら地域のヤングカルチャーを育んでいくこと
地方に行けば行くほど洋服を買える場所は少なくなる。古賀さんの場づくりからも分かることだが、地域は都市部とは違ってお金を稼ぐよりも人を救うことに重きを置くことが地域づくりにコミットしやすい。古賀さんは続ける。
「一般的な地域づくりの概念は、行政に向けてNPOと企業をつなげる人材育成や空き家活用して移住相談窓口を作ることで、僕としても凄く共感できる取り組みです。しかし僕としては違う角度でやりたいのです。
都市部だと洋服店があり、まちを歩いてても若者の服装や容姿が素敵で、スタイルに憧れたり情報を得ることで刺激が入り、自然にファッション感度が上がっていきますが、ローカルだとどうしてもそれが満たされない。また、街中に縦横の繋がりが広がる場所がなかなかない。
「僕としてのミッションはそれらを脱却できる場所・空間を作りつつ、地域のヤングカルチャーを育くんでいくことなのです」(古賀さん)
古着屋というコンテンツを作っていく際、地域外の人ではなく地域の若い人たちと距離を縮めて情報交換ができて、かつ、興味を持ってもらうかを大切にしていく。古賀さんはその先駆者でありたいというのだ。
若者のチャレンジ精神が育まれる先に楽しみを生み出せる働きかた
現在、事業を行っている場所で、地元の学生が古着屋をやりたい想いを抱く人を巻き込んでトライアルで試してもらうことが短期的な理想だという。地域の若者が当たり前のように、地元で何かしらチャレンジをしていることが中長期的なゴールなのだと。まちで若者が生業を創り出してチャレンジ精神を育めるよう伴走支援していきたいと古賀さんは話す。
「これからは若者のチャレンジすることへのハードルを一緒に下げていきながら、地域で働くことへのモチベーションを高めて、地域の中高生にワクワクを生み出せる働きかたをつくっていきたいですね」(古賀さん)
何か成し遂げたり実体験を積むことで仮説を立てやすくなる。それは時間が経っても消えることはなく未来に引き継がれる。それは古賀さんが小学生時代に周りに喜んでもらえることが自分自身も嬉しくなったことが現代にも影響しているのではないか?
「それはあるかもしれません。これまで地域で“働くってどういうことだろう?”をテーマに、中高生にアパレル物販を通した働きかたワークショップを行なって来ました。とても価値のあることだと評価をいただいています。
しかもそれだけではありません。洋服に全然興味がなかったが、体験を通して洋服に興味を持ってくれた子。さらには、体験を通してアパレルの道に憧れ、地域外のアパレル会社に就職しゆくゆくは地元に戻って洋服屋をやりたいと話してくれる参加者の子もいたんです。
僕としてはそう言ったコーディネートをしていくことで地域のひとづくりができればと思っています」(古賀さん)
大望を抱きながら地域とともに歩み続けることで得られるモノ
このような大望を抱くにあたっては、やはり大学時代で得た原体験も大きく作用しているはず。今後、事業を進めながら新たに行政の地域づくり事業にも関わっていく古賀さんは、今まで以上の責任感を背負いながらどのように歩みを進めていくのだろうか?
「今までは民間主導のアパレル系を通した地域づくりだったので割と緩い形で楽しみを生み出すことが当たり前だったのが、行政の方々とお仕事をさせていただくようになって思うのは、責任感を背負いつつもリモート業務が多いことです。
まだまだ試行錯誤の連続ですが、日々地域のキーパーソンの皆さんにフィードバックをもらいながら学びと実践を繰り返して地域に貢献していきます」(古賀さん)
結び-Ending-
古賀さんにとっての地域づくりとは、地元の人たちを置き去りにしないことだと言います。地域外から入り込んできて地域の合意形成を取ることなく勝手に何かを進めるのは反発を生んで敵を作ってしまう。
そうならないために日々どういう風に地域と一緒にやっていくかを日々考えていくことが必要だと改めて認識しました。
多拠点生活の話題が取り沙汰される中、大事なのは何かしらの形でそこに拠点を作り地域住民とともに汗を流すこと。そうすることによって地域の人たちもこの人は本気なのではないかと少しは考えてもらえる関係になるはずです。
その中で古賀さんは地域に根を下ろして活動しているので、覚悟を決めて色々実践していることがとても素敵に思いました。
■企画・著作
中野 隆行(Nakano Takayuki)
地域での写真活動を機に
地域の人たちの価値観に触れたことがきっかけで
このメディアを立ち上げる
【取材データ】
2024年8月12日
【監修・取材協力】
一般社団法人 kito
・白水 梨恵様
・古賀 友佑太様
【編成・編集】町おこしロケーションタイムス編集部
取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。