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地域人史-Interview-

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試行錯誤してでも故郷に帰って自分で責任取れる形でやりたいことを叶えるために。夫婦でお互いに尊重し合って出した結論とは

北海道北見市

今回は西村 貴子さんに
お話を伺いました
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西村 貴子(にしむら たかこ)さん

株式会社アイエンター KITAMI BASEファシリテーター/北海道美幌町出身。早稲田大学政治経済学部卒。大学進学を機に上京後は現地で就職。その後、結婚・出産を経て専業主婦に。東日本大震災をきっかけに故郷に対する想いが強くなり、周囲の人たちや夫の支援を受け、かつ、東京のIT企業に所属しながらリモートワークを活用してコロナ禍で帰郷して働くことに。現在はKITAMI BASEファシリテーターでありながら自治体や起業家と協働しながらまちづくりに参画中。北見市在住。

2020年から続いていた緊急事態宣言下で生まれた非対面でのコミュニティの形がオンラインでの対話やイベント。その中で産業界等で活躍されている秋田県ゆかりの方々が参画して創る秋田産業サポータークラブが企画したオンラインイベント「秋田コネクト2021」で登壇していた西村 貴子さん(株式会社アイエンター KITAMI BASEファシリテーター)は、コロナ禍で人口過密地から地域移住の流れが社会現象になった中でご家族とともに故郷へUターン。


しかしその中身を深堀していくと過去に起こった出来事が大きく作用して行動に至るものでした。多くの苦労が待ち受けている中で自分自身を奮い立たせて地域でチャレンジする原動力になっているのは何か紐解いていくと、自分らしく生きることの大切さを思い知らされる内容でした。

地域の人財をマッチングさせるポイントは、そこで暮らす人たちが豊かな営みを醸す様子を汲み取ること

2023年5月のある日、春の陽気で少し汗ばむ午前中に北海道北見市の駅前の商店街にあるコワーキングスペース「KITAMI BASE」で西村さんと話が弾んだきっかけはとある求人サイトのケースだった。


そのサイトはとある地域に限定をし、一般的な求人情報である仕事や賃金の条件よりも、企業の中の人が仕事の魅力を語り部として伝えている。それは「経営者のストーリー性に共感を生むことで自分事として考えるきっかけになる」からだという。


地域へ目を向けるきっかけを創る人材紹介メディアの話から取材は始まった。最初の会話で気づいたのは、やりたいことにアクションを起こすことで自分らしさを体現していることだった。



「私はいわゆる『乗り鉄』で、東京にいた時は用事もないのに山手線を一周したり、関西方面に出張した際にはJRの特急に乗るためにわざわざ遠回りをして5時間くらい在来線に乗って、カップ酒を片手に本を読んで帰ってくることをやってました。笑」(西村さん)


そう話す西村さんは北海道にUターンをしてからは電車に乗る機会が少なくなり、今はアウトドアや自宅で料理を作ることを趣味にしている。


特に地元の食材を使った料理が好きで、最近ではSNSで紹介している。料理のレパートリーがとても広く、小料理屋やイベントとして提供できれば面白いのではないかと感じる。そこから感じるのは地域に適応しながらも豊かな暮らしを体現しているようだ。


幼少期の頃の原体験から受け取っているギフトは生きていくために生業を作りながら貢献すること

そんな西村さんはこれまでどんな人生を送ってきたのだろうか。お話を伺う中で幼少期の体験から今につながるポイントは二つあるように思える。


一つは農家をやっていた祖父母の農作業を手伝ったときに『貴子ちゃんのお陰でこんなに野菜が育った』と言ってくれたことで手伝いに行くのが好きになったこと。


もう一つは当時、西村さんの父が自営業でクルマの整備工場をやっていた時、自宅兼事務所には人の出入りが多く、仕事の話を当たり前のように子どもだった西村さんの前で話していた。


そのとき仕事の中で生まれる思いやりや人情を感じてすごく楽しかったという。ここから西村さんに及ぼした影響が大きかったという。



「今思えば子どもでもちゃんと任されたことを達成すればフェアに評価されることと、職場環境が身近にあることが成長にもなることを感じました。


働くことを身近に感じさせてくれた祖父、両親のおかげで、誰かと関わって何かを成し遂げる時に感謝されて喜びになることが生きがいになると認識しましたし、自分が生きていくために生業としながら何かに貢献することを学びました(西村さん)


難しい地域コミュニティの在り方を考えながら地域へどう活かすかを探り続ける姿

その一方で、コミュニティの濃い人たちが集まって噂話や悪口やらで時間をつぶしているのを見たのも、幼いころの体験だった。それはビジネスの場面にも起こりうることというのを実感したことがある。



昨年、とある地域事業者コミュニティの運営をやらせていただいたのですが、運営者として私が未熟だったこともあり、成果と同時に人間関係の課題も出てきたことがありましたコミュニティが濃いといい仕事につながることがある一方で、『感情的な人間関係が露出することもある』と実感しました」(西村さん)


そこを教訓としてKITAMI BASEでもコミュニティのあり方を見直した。当初はKITAMI BASEのサポーター制度も考えていたが、利用者が自発的ではない中で施設側がそのような囲い込みを行う形になってしまうと利用者の公平性が担保できなくなると判断して提案自体を取りやめた。


震災と周囲の人々の理解が、地元へ戻って試行錯誤しながら生きていく想いを醸成する

では、大学進学を機に上京して20年間も東京の生活を送ってきたが地元に帰るきっかけとなったのは何だろうか?



「東日本大震災だと思っています。当時、東京で被災した時は私の上の子どもがまだ6ヶ月でした。普段生活している街がぐらぐら揺れて、ビルや電柱が今にも倒れそうなのを見ているうちに、仮住まいと思っている場所で死ぬのは絶対に嫌だと思って北海道に帰りたいと考えるようになりました」(西村さん)

 

“帰りたい”と思い始めたきっかけは、なかなか周囲の人には言えなかったという。なぜなら自分は被災したわけではないし、もっとあの震災でつらい思いをしている人がいると思うと自身の心境の変化を口に出せなかったからだ。


しかし時間が経つにつれ、その思いは薄まるどころか増していった。周囲の人に少しずつ地元に帰りたい思いを打ち明けると、当時のママ友や会社の社長など、色んな人が背中を押してくれた。


ママの意志を尊重してくれた家族への思いと、夫婦それぞれが進むべき方向性を見定めて大きな決断をした先に見えるもの

地元へUターンをすることは思い切った覚悟がないとできないと思うが、西村さんは様々な人に支えられて北見へ戻ってきた。


「一人目が生まれてからは、しばらく専業主婦をしていました。初めての子育てで大変なことがありながらも楽しく生活を送ってきたのですが、もう一度働きたいという気持ちがモヤモヤと湧いてきて。


今まで出版社の広告営業で忙しくも充実した働き方をしてきたので、もう一度あの仕事をする世界に戻りたい気持ちが沸いてきたんです。


震災を経てUターンしたい気持ちは固まっていたので、どうやったら地元で子どもを抱えながら仕事ができるか、あるべきワークスタイルや家族の在り方を考えるようになり夫と相談を始めました。


その中で、仕事と生活をしたい場所が夫と私とでは一致しないことがはっきりしてきたので、お互い我慢してどちらかに合わせるよりは、別居した方が良いのではという結論に至ったんです」(西村さん)



一般的には価値観が一致しないから夫婦ともに行動できないケースが多い。夫婦どちらかが田舎暮らしをしたいと思っても、一方が便利な都会から離れられないケースをよく耳にするが西村さんも同じだ。しかし突き抜けているポイントは価値観が違っていることを夫婦で共有し、どちらかが我慢することをやめたことである。


「私たちの親世代に多いと思うのですが、結婚したら生活のことに関しては女が我慢して従うべき、とい言われていましたが、このままだと夫や子供のせいにして一生を終えちゃうことが見えていたので、後悔するよりは身内周囲からの反対に遭うことを承知でアクションを起こしたほうが良いと考え、私たち夫婦は大きな決断をするに至ったんです」(西村さん)


現状の行く先を想定して明るいビジョンを描いてバックキャスティングしてアクションを起こす。西村さんの考えとしてあるものは演繹(えんえき)的 *1であるという。


*1「演繹的な考え方」とはすでに正しいことが明らかになっている事柄を基にして別の新しい事柄が正しいことを説明していく考え方である。 いつでも言えることを主張するために既に分かっていることを基にしてその正しいことを説明しようとするもの



「東京にいると地域社会の歯車の一つとか誰かの組織の一員としてただ消費するために生活しているような気分だったんですよね。それなら地元に帰って、“消費者ではなく生産者側”に回れないか、と。


我慢してこのまま東京で楽な人生を送るか、それとも辛いけれど帰郷してチャレンジする人生を送るかを5年ぐらい迷った結果、後者を選んだんです。100%いい決断ではなかったかもしれませんが『女だから主婦だから母だから』という思想で縛らなかった夫と、ついてきてくれた子どもには感謝しています」(西村さん)


時代の流れとともに変化する地域課題と自らの課題を可視化していくワケとは

今では故郷で暮らすことができている西村さん。ビジネスでもチャレンジし続ける姿は誰もが憧れる姿であるが、仕事や暮らしで課題を感じることがあるとすれば何だろうか?


「プライベートでは学童保育や幼稚園だと問題ないのですが、習い事や運動など個々の家庭の事情での送迎は公の支援が得られないんですね。北見のような地域だと習い事の場所まで距離が離れているのと公共交通機関があまり便利ではないので、親が車で送迎する必要があり仕事との調整が結構大変です。


仕事に関して言えば、2つあって、1つはこのKITAMI BASEです。出張やテレワーカーのためにいつでも公平公正なサービスを提供すること、ヒトベース、そして、コミュニティベースの運営が相容れないことがあります。


大都市よりそもそも人口規模が違うのでWi-Fiやセキュリティ対策、使い勝手の良い机、明確な予約システムなどといったハード面を整備しただけでは、地域においてはコワーキングスペースとして地元の利用者がなかなか増えないので日々バランスのとり方を模索しています。


もう一つは私の個人事業主のほうで進めているクラウド会計の導入支援事業でのほうです。バックオフィス業務の効率化のためにfreeeやマネーフォワードのようなクラウド会計ソフトを推奨して導入支援を行っているのですが、地域では日常的に使っている人が身近にあまりいないのでどうしても情報不足になってしまいます。


オンラインでの講習会や地域でのパートナーを見つけて自ら情報を取りに行くように心がけないと、やっぱりお客様にいいサービスは提供できないな、と感じています」(西村さん)



手段を目的化しないためのやりがいのあるコトづくりを地域内で完結することが最大のビジョン

これまで話を伺って思ったのは周囲の人の想いを取りまとめてアクションを起こす役割を担っているように思えるが西村さんはさらにこう続ける。


「最初は同じ目的で集まった人たちが、いつの間にかそれを叶える手段が目的化されてきたときにトラブルが起こりやすいと考えます。私もよくそれに陥りがちで、以前同僚から『同じ目標を見ましょう』とアドバイスを受けました。比較的狭いコミュニティだからこそ、本来の当初の目的は何なのかを繰り返し考えるようにしています」(西村さん)


西村さんにとってまちづくりとは、仕事や子育てが地域内で完結し、その地域で生活する中で日々面白さや楽しさを感じることができる社会にしていくことだと話す。地域で生業を生み出し豊かに暮らしていく姿を自ら実践していくことで周囲に共感を生んでいくことになるのではないか。そのためにはどうあるべきか。


「まずはやりがいがある仕事が地域に存在していることが第一です。北見ではそれができる地域だと確信しています。これからも経営支援やコミュニティ作りを生業としてそういった仕事を生み出したり支援したりできるよう、誰よりも北見での生活を楽しんで仕事をしていきます」(西村さん)



結び-Ending-

今回、取材の中で僕自身が取り組んでいる地域活動や人に焦点を当てたメディアによって地域創生やまちづくりにつなげたい想いはすごく共感できると西村さんから評価いただいたことが大きなポイントでした。


北見市は何度か訪れたことはありましたが、地域の人たちとの接点がありませんでした。これを機にまちの人たちとの繋がりをさらに築いていきたいです。

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■企画・著作
中野 隆行(Nakano Takayuki)
地域での写真活動を機に
地域の人たちの価値観に触れたことがきっかけで
このメディアを立ち上げる

【取材データ】
2023年5月1日
【監修・取材協力】
KITAMI BASE
・西村 貴子様

取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。

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