地域人史-Interview-

「閉じこもっていたら人間は劣化していく」
~好奇心が導く第二の人生~
北海道新十津川町
今回は笠井 正憲さんに
お話を伺いました

笠井 正憲(かさい まさのり)さん:ライフプランニング FP 事務所
新十津川町在住。会社 員として長年勤め上げた後、現在は成年後見人として高齢者の暮らしを支えながら、自らも人生を学び続けている。歴史や神社仏閣巡りを趣味とし、定年後は夫婦で各地を訪れるようになった。近年はAIや新しい働き方にも関心を持ち、若い世代との交流から刺激を受けているという。「120歳まで生きる」を合言葉に、年齢を理由に可能性を狭めることなく、新しいことへの挑戦を続ける姿勢が印象的な人物である。
「120歳まで生きます」
笠井さんはそう言って笑います。
最初は冗談のようにも聞こえた。しかし話を聞いていくうちに、それは単なる長寿願望ではないことが分かってきました。
歴史を学ぶために旅へ出る。若者の働き方に興味を持つ。AIに触れてみる。成年後見人として人生の先輩たちと向き合う。
73歳になった今も、知らない世界を見たいという気持ちは衰えていません。
なぜ笠井さんは「120歳まで生きる」と語るのか。その言葉の背景には、人生を面白がり続ける生き方がありました。
~学び続ける73歳の人生論~
「120歳まで生きます」
そう言って笑う笠井さんの表情は、とても自然だった。冗談のようにも聞こえる。しかし話を聞いていくうちに、それは単なる長寿願望ではなく、人生をどう生きるかという、笠井さんなりの哲学なのだと感じた。
73歳になった今も、新しい場所へ出かけ、人と出会い、知らなかったことを学ぶ。年齢を理由に自分の世界を狭めるのではなく、今も新しいものへ関心を向け続けている。
そんな笠井さんが「120歳まで生きる」と言うようになったきっかけは、ある知人との何気ない会話だった。
「人間の細胞は120歳まで生きるようにできてるんだから、普通にしたらそこまで生きるんだよ」
それを聞いた笠井さんは、
「じゃあ俺も120まで生きるわ」
と答えた。後日、その知人はさらに話を進化させた。
「俺は148まで生きる。歯が三回目に生え替わるのを確認してから死ぬ」
笠井さんによれば、その後、新聞で歯の再生研究に関する記事を目にしたという。
「言ったもん勝ちですよ」
そう笑う笠井さん。周囲から「お前バカか」と言われることもある。しかし、そんな言葉も気にしていない。
「はい、バカですって言っときゃいいんだよ」
120歳まで生きる。一見すると突拍子もないこの言葉の背景には、笠井さんが73年間を生きる中で培ってきた、独特の人生観が隠れていた。

閉じこもっていたら人間は劣化していく
「今は夫婦仲がいいように見えるんだけど、60を過ぎて定年になってから、二人で旅行を始めるようになって非常によくなりました」
現在は妻と各地を旅する笠井さんだが、若い頃からずっと同じ関係だったわけではない。結婚したのは21歳。
長い夫婦生活の中では価値観の違いから衝突することもあり、30代から40代の頃には、役場から離婚届を三度もらってきたこともあった。ただ、一度も提出していない。妻に突きつけたわけでもなかった。
「自分としては別れる気がさらさらないから、今の状態を変えてくれればいい」
感情が高ぶることはあっても、最後には「好きで恋しくて一緒になって、ここまで来てるじゃないか」と思ったという。
そんな二人の関係が変わったのが定年後である。それまでほとんどなかった夫婦旅行をするようになった。
趣味や価値観がすべて一致しているわけではない。それでも妻が笠井さんの興味に合わせてくれることもあり、二人で各地へ出かけるようになった。
名古屋に暮らす娘や孫にも夫婦で会いに行く。妻が孫との時間を過ごしている間、笠井さんは自分の興味のある場所へ一人で足を延ばす。
それぞれの時間を楽しみながら旅を続けている。笠井さんは、外へ出ることについてこんな言葉を口にした。
「閉じこもっていると、どんどん人間は劣化していくから」
外へ出れば、人と会う。知らなかったものに触れる。そして、また次に行きたい場所が生まれる。
かつては「この人とは旅行なんて無理」とまで思っていた二人が、60歳を過ぎてから一緒に旅を始めた。
年齢を重ねる中で変わったのは、生活だけではなく、長く連れ添ってきた夫婦の関係でもあった。

歴史の中に面白さを見つける
夫婦で旅行をするようになった笠井さんが、旅先で特に惹かれているものがある。それが歴史である。
北海道で暮らしてきた笠井さんにとって、本州に残る城や神社、古い建造物は新鮮に映る。
「北海道にいたら、お城がないんですよ。松前城はありますよ。だけど向こうに行ったら、お城はあるわ、昔ここに城があったんだっていう石垣はあるし」
太い柱を見れば「すげえな」と驚き、天守があれば登ってみたくなる。資料館に入れば、展示だけでなく説明文までじっくり読み込む。
「一時間でも二時間でも好きだから、説明書をずっと読んでる」
国宝に指定されている天守を巡ることも、これからやりたいことの一つである。笠井さんが歴史を楽しむ姿勢には、もう一つ特徴がある。
史跡を見て終わるのではなく、「本当にそうだったのだろうか」と自分なりに想像を広げていくのである。
出雲大社では、かつて巨大な本殿が存在したという話に興味を持った。熱田神宮では大きな刀を目にし、かつて大柄な人間が存在した可能性まで思いを巡らせる。
史実に触れながら、そこから自分なりに考えること自体を楽しんでいるのだ。
「いろんなものを見ながらチョイスしていくと、歴史の見方も自分の中で面白いものができるんじゃないの」
現役で働いていた頃には、こうしたことをゆっくり考える時間はなかなかなかった。仕事を離れ、自由に動けるようになった今だからこそ、実際にその土地へ行き、自分の目で見て、自分の頭で考えることができる。
若い頃には気づかなかった面白さを、年齢を重ねた今になって見つけていく。笠井さんにとって歴史を巡ることは、過去を知るだけではない。これからの人生を楽しむための、新しい学びにもなっているのである。

お金では得られない、社会とのつながり
笠井さんには、60代から13年以上続けている活動がある。成年後見人である。
きっかけは、知人が成年後見に関わるNPOを立ち上げる際、「名前を貸して」と頼まれたことだった。
「いいよって。そこでズルズルズルっとハマったんですけどね」
成年後見では、財産の管理だけでなく、その人の暮らしにも関わる。高齢者の中には、行政から届いた郵便物の内容が分からず、開封しないまま積んでしまう人もいるという。
そうした書類を確認し、必要なことを本人に伝えるのも役割の一つである。13年以上続けた今、笠井さんがこの活動に感じている価値は、報酬だけではない。
「自分がやって良かったのは、世の中とのつながりだっていうことと、その人を支えるっていう。こんな俺でも支えられるっていうのが」
これまで95歳や98歳といった、自分より年上の人たちとも関わってきた。その人がどのように生き、人生の終盤をどう過ごしているのか。後見人だからこそ、間近で見えるものがある。

「この人の人生はこうだったとか、ああだったとか。金いっぱい持ってたって何もならんじゃんとか、いろんなものを見せてくれるんですよ」
笠井さんはそれを、「人生の先輩の生き様を見せてもらっている」と捉えている。そして73歳になった今では、69歳や70歳など、自分より若い人を担当することも出てきた。
かつては自分よりずっと先を歩く人たちを見ていた笠井さん自身が、いつしか同じ年代へと近づいてきたのである。
「これって、お金じゃないんですよ」
この一言に、13年以上続けてきた理由が表れているように思える。成年後見人には決まった定年がなく、自分ができると思う限り続けられる。
誰かを支えることが、自分自身を社会とつなぎ、その人の人生が、自分のこれからを考えるきっかけになる。
成年後見は笠井さんにとって、単なる仕事ではない。人と関わりながら、自分自身も社会の中で生き続けるための、大切な場所になっているのである。
自分の常識にとらわれない
笠井さんの好奇心は、歴史だけに向けられているわけではない。自分とは異なる時代を生きる若者の価値観にも関心を持っている。
かつては、一つの会社に勤め、給料を得ながら生活することが当たり前だった。笠井さん自身も、そうした時代を生きてきた。
しかし今は、地方に暮らしながら自分で仕事をつくる人や、複数の地域を行き来する「多拠点生活」を選ぶ若者もいる。
笠井さんが出会った中には、京都大学を休学し、実家や大学近くの住まい、地域おこし協力隊として活動する地域の三つを行き来する若者もいた。
「すげえのがいるな、今の若いのはって思います」
自分が歩んできた人生とはまったく違う。それでも否定するのではなく、「そんな生き方もあるのか」と面白がる。
その姿勢は、新しい技術に対しても同じである。笠井さんはChatGPTも利用している。北海道にある道の駅を巡ろうと考えた際には、滝川を起点に各地を回るルートを考えてもらった。
「作ってくれるんだわ」
便利さに驚く一方、AIが進歩していくことについては、
「何でも機械にならんぞ」
とも話す。新しいものだから無条件に受け入れるわけではない。一方で、分からないからと遠ざけるわけでもない。実際に触れたうえで、自分なりの考えを持つのである。
73歳になった今も、若い世代から刺激を受け、これまで知らなかった技術にも触れてみる。
自分が生きてきた時代の常識だけを「正解」にしない。その柔軟さが、笠井さんの世界を今も広げ続けているのである。

会社の看板より、自分の力
若い世代の働き方について話す中で、今度は笠井さん自身の経験へと話題が移った。
「若いうちは30とか40ぐらいまでは、自分に投資しろっていうんだよね。自分は絶対そう思うんだよ」
資格を取る。学ぶ。自分より優れた人がいれば、その人が何をしてきたのかを見る。笠井さん自身も会社員時代、資格を取得しながら、自分のできることを増やしてきたという。
しかし、大切なのは会社の中で評価されることだけではない。
「会社の中の評価よりも、外部の評価が高いやつの方が、会社潰れた時に引っ張ってくれるから」
会社に所属していれば、役職や肩書きがある。部下がいて、自分についてきてくれることもある。
しかし、それをすべて自分自身の力だと思い込んではいけないと笠井さんは考えている。会社という看板がなくなった時、自分には何が残るのか。
「会社の中で完結しようと思うとダメなの」
だからこそ、自分を外から見る力が必要になる。会社の中だけの評価にとらわれず、自分が社会からどう見られているのか、何ができる人間なのかを知る。
外からも評価される力があれば、所属する会社が変わっても、自分自身の価値まで失うわけではない。
そして目標があるなら、そこから逆算して「今、何をするべきか」を考える。笠井さんは、そうすれば実現に近づいていけると話す。
肩書きはいずれなくなる。一方、自分自身が積み重ねてきたものは残る。「自分に投資しろ」という言葉には、長く会社員として働いてきた笠井さんだからこそ見えてきた、会社だけに自分の価値を預けない生き方が込められている。
人生はまだ途中
「120歳まで生きる」
インタビューの冒頭で聞いたこの言葉は、話を聞き終える頃には、最初とは少し違って聞こえてきた。ただ長く生きたいという話ではない。
73歳になった今も外へ出て、人と関わり、知らなかった世界に触れる。自分とは違う価値観に出会っても、すぐに否定するのではなく、「そんなものもあるのか」と面白がってみる。
そして、自分がこれまで歩んできた人生から得たものを、今度は若い世代へ伝えていく。笠井さんは、これからの人生についてこんなことを話していた。
「10年単位でやりたいことを一つずつ、こうしていきたいなって」
国宝の天守も、まだ訪れたい場所が残っている。孫にも会いに行く。成年後見人の活動にも決まった定年はなく、自分ができると思う限り続けられる。
120歳まであと47年。その数字を現実的と見るか、途方もないと見るかは人それぞれである。
しかし、笠井さんにとって大切なのは、本当に120歳まで生きられるかどうかだけではないのだろう。
「言ったもん勝ちですよ。声に出す、口に出すっていうのは無料ですからね」
できるかどうかを考える前に、まず「やりたい」と口にする。年齢を理由に、自分の未来を先に小さくしてしまわない。
笠井さんの話を聞いていると、「120歳」という数字は寿命の目標というよりも、これから先にもまだ時間があり、やりたいことがあると考えるための言葉のようにも思えてくる。
73歳になっても、行ってみたい場所がある。知りたいことがある。会いたい人がいる。そして、社会との関わりも続いている。
ならば、人生を終わったものとして考える理由はない。73歳。笠井さんにとって、人生はまだ途中なのである。

結び-Ending-
今回の取材で印象に残ったのは、「120歳まで生きます」という笠井さんの言葉でした。
最初は冗談のようにも聞こえましたが、お話を伺ううちに、それは単なる長寿への願望ではなく、「これからも学び続けたい」という思いの表れなのだと感じました。
歴史を学ぶために旅へ出る。成年後見人として人生の先輩たちと向き合う。若い世代の新しい働き方に興味を持つ。そしてAIのような新しい技術にも触れてみる。
73歳という年齢を感じさせない好奇心と行動力に、私自身も大きな刺激を受けました。
「閉じこもっていたら人間は劣化していく」という笠井さんの言葉があります。年齢を重ねるほど、新しいことに挑戦するのは億劫になりがちです。しかし笠井さんは、今もなお自ら外へ出て、人と出会い、学び続けています。
人生を面白がることを忘れない。その姿勢こそが、笠井さんが120歳まで生きたいと語る理由なのかもしれません。
私も笠井さんを見習いながら、好奇心を持ち続けられる人でありたいと思いました。

■企画・著作
佐々木 将人 (Masato Sasaki)
就職を機に兵庫県から北海道に移住した社会人。
人好きで、人×地域をテーマにした記事制作が得意。
【取材データ】
2026/05/02
【監修・取材協力】
笠井 正憲様
取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。本記事の無断転載を禁じます。
