体験記
福島県二本松市
秋の二本松市を巡るオンラインツアー
〜ヒト・コト・モノに出会う旅。その魅力とは?〜(後編)
2021年10月9日に、ツアー会社「あうたび合同会社」企画のオンラインツアー「二本松城跡散策と、日本酒飲み比べの旅」が開催されました。
前編同様、福島県二本松市のオンラインツアーの様子をお届け。実際に地域の人とつながり、二本松を観光しているかのような気分を味わえるツアーとは。
条件を満たすことで参加費・特産品代が無料に
今回のツアーはアンケートに答えることを条件に以下の特産品が届き参加費も無料に(お酒が商品のため20歳以上が参加条件)。
・檜物屋酒造店の地酒「千功成」飲み比べセット(720ml x 2本)
※カップや外箱は含まれません
地域愛好家によって育てられた菊が資源として活用されるだけでなく、地域を盛り上げている
ツアー当日。私たちを出迎えてくださったのは、あうたび合同会社の添乗員のかなえさん。
白石 佳菜江(しらいし かなえ)かなえさん:あうたび企画兼ツアー派遣添乗員。愛称はかなえ/東京都出身。2005年にスリランカへ初めて渡航。その後、現地NGO、現地旅行会社にインターンとして勤務。日本とスリランカの旅行業界の関係性を中心に大学にて研究を経て大学卒業を機に、日本のスリランカ専門旅行会社勤務。大学院では日本人旅行者のスリランカ観光をテーマに研究。現在もスリランカとの関わりしろを大切にする中、あうたびでは、ツアー中のお酒を愛し笑いを誘うキャラクターの良さが人気を買っている。
そして、まず訪れたのは、菊花展会場。10月1日より展示がスタートしているとのこと。こちらをご案内くださったのは、二本松市役所観光課の小山さん。
二本松市役所観光課の小山さん
例年だと、毎年秋に「二本松の菊人形」というイベントを行なっているそうですが、今年は昨年に引き続き新型コロナウイルスの影響で、「霞ヶ城公園 菊花展」として、菊の展示をメインに規模を縮小しての開催とのこと。
会場内には、なんと7,000株ほどの菊が展示されているとのこと。早速ご案内していただきます。
会場に入ると、さまざまな色の菊が出迎えてくれました(写真①)。市内に住む約50人の愛好家の方々が育てられた菊を展示しているそうです。こちらの菊は、10月10日頃に満開になるように栽培された菊であるとのこと。この日は10月9日でしたので、ほぼ満開ということになります。
展示されている菊は「三輪盆養(さんりんぼんよう)」と呼ばれる栽培方法で育てられており、一本の茎から三本の枝に分かれ、三輪の花が咲いています。三本とも高さがバラバラであることで、その菊の評価が高まるとのこと(写真②)。なかなか育てるのが難しそうですね。
菊は通常、一株に咲く三輪は同色ですが、今回は愛好会の会長さんが「変わった菊を作ってみたい」とのことで、苦労の結果、三輪とも違う色の菊の栽培に成功。「三色大菊盆養」という仕立て方だそうです。
会場には競技用の菊も展示されています(写真③)。5鉢1組で1人の方が出品されているとのこと。どれも美しくて、優劣つけがたいですよね。審査が終わった後は、なんと家に持ち帰って酢の物にして食べるのだそうです。
このように300近くの花をつけた大型の菊の展示もあります(写真④)。二本松市以外にも菊の栽培が有名な地域は他にもあるそうですが、このような規模の菊の展示はなかなか二本松市以外では見られないそうです。
こちらは「千輪咲」と呼ばれるもので、一つの茎から千輪の花を咲かせているもの(写真⑤)。栽培方法も複雑で、愛好家の方の中でも数人しか作れる技術を持たないとのこと。菊花展のメインとなる展示物だそうです。こちらの見頃は10月20日頃ということで、まだ蕾のものも多かったです。
こちらは菊人形。例年であれば40体ほど展示されるそうですが、今年は2体のみの展示。通常は源氏物語などのストーリー展開がされ、その場面に菊人形が登場するという展示方法だそうです。
菊師と呼ばれる方々が仕立てているそうで、その方々のセンスで色合いなども決まるそうです。大体2週間ごとに着せ替えがされるとのこと。
小山さんのガイドのおかげで、菊作りに関する理解が深められました。今度は実際に菊の展示や菊人形を見てみたいです。
別名、霞ヶ城とも呼ばれる観光資源が地域愛を育む
二本松城は、二本松市ボランティアガイドの斎藤 学さんに案内していただきます。
斎藤 学(さいとう まなぶ)さん:二本松市ボランティアガイド/63歳のときに、時代小説が好きで二本松市のボランティアガイドを始められたとのこと。二本松市の歴史に詳しい。ユーモアを交えながらのガイドが得意。
二本松城の北側の入口付近からスタート。斎藤さんの背景にある石には、4句16字の戒めの言葉が書かれています。これを「戒石銘」というそうです。
「爾の俸 爾の禄は 民の膏 民の脂なり 下民は虐げ易きも 上天は欺き難し」と刻まれています。意味としては「武士の給料は汗と脂の結晶である。民は虐げ易いけれども、神を欺くことはできない。だから民を虐げると、きっと天罰があるぞ」というもの。
二本松藩5代藩主、丹羽高寛が藩士の戒めとするため、藩儒学者岩井田昨非に命じて、1749年に城東の藩庁前にあった大石に刻ませたものだそうです。二本松市民の誇りとして、今でも語り継がれています。
二本松城は1643年に、丹羽光重公により築城されたもの。この石垣は、野面(のづら)積みと呼ばれる作り方をしており、大きい石の間に小さい石をはめこんで丈夫に作られています。2011年の東日本大震災の時も、崩れずに済んだそうです(写真①)。
正面の方にやってきました。正式名称は二本松城ですが、別名、霞ヶ城とも呼ばれているそうです(写真②)。
こちらは戊辰戦争に出陣した、13〜17歳までの少年隊の銅像(写真③)。新政府軍に果敢に戦いに挑んだその場面を再現したもので、たった1日の戦いで14名の少年が戦死したとのこと。
こちらのバツ印は、直違紋(すじかいもん)と呼ばれ、丹羽家の家紋を表したもの。なかなか立派な門ですよね(写真④)。早速中に入っていきます。
こちらの階段は、当時はお殿様しか上ることができなかったもの(写真⑤)。他の者は、脇にある小さな階段を上ることしか許されなかったそうです。
階段を上ると先ほどの菊花展会場へと通じていました。ガイドの斎藤さんが指差す方向に、この二本松城の本丸の石垣が残されているそうです(写真⑥)。ただ、ここから歩いていくと30分ほど掛かるそうなので、今回は割愛。実際に行った時のお楽しみです。
代々、受け継がれる酒蔵が、安達太良山の真の姿を語り継ぐ
二本松城を後にし、檜物屋酒造店へと向かいました。出迎えてくださったのは、7代目の斎藤一哉さん。
斎藤 一哉(さいとう かずや)さん:株式会社 檜物屋酒造店 代表取締役/ 7代目。二本松市出身。檜物屋酒造店は創業明治4年。昔ながらの工法で、地元にこだわる酒造りをおこなう。
早速、斎藤さんと参加者の皆さんと一緒に、送っていただいた日本酒で乾杯をしました。
斎藤さんや参加者の皆さんが乾杯時に飲んでいたのは「甑峯(こしきみね)」というお酒で、特別純米酒。お味はほんのり辛口でスッキリしています。
二本松市にある安達太良山は、その昔、甑峯と呼ばれていたそう。ですが、いつの間にかそう呼ばれなくなってしまったとのこと。それに心を痛めた檜物屋酒造店の先代が「お酒でこの名前を残せないか」と考え、造られたのがこの甑峯というお酒だそうです。
乾杯の後は、蔵の中を案内していただきました。こちらは釜場と呼ばれるところ。お酒造りのはじめにお米を蒸す場所で、最大で1トンものお米が入るとのこと(写真①)。
こちらが仕込み蔵。なんと建てられたのは大正時代。かなり歴史あるお蔵ですよね。11月の下旬から酒造りが始まり、現在は6名程度で造られているとのことです(写真②)。
蔵の2階には、「松尾様」と呼ばれる酒造りの神様が祀られていました。家庭にある神棚とは少し違う感じがしますね(写真③)。
こちらがタンクで、温度を測ったりしてお酒を造っていくところ(写真④)。このタンクの中にお米を入れることを「仕込む」と呼ぶそうです。このタンク1つに大体2トンほどのお米が入るとのこと。日本酒は1本仕込むのに4日ほどかかるということで、改めて手間暇かかる作業だなと思いました。
こちらがお酒を絞る機械。上からぎゅっと挟んで絞るのだそうです(写真⑤)。こちらの機械を使うととても良いお酒ができ、酒粕も美味しいものが作れるとのこと。
このあと、米作りの様子の動画を拝見しました。なかなか見ることができない場面ばかりで、お酒ができる様子を楽しく観ることができました。
最後に、お店の方をご紹介いただきました(写真⑥)。今回お送りいただいた日本酒の他にも、さまざまなお酒があり、ぜひそちらも飲んでみたいなと思いました。